5月15日礼拝「砕かれた者の神」

詩篇NO9「砕かれた者の神」9篇10~20節

         仁井田義政 牧師

9篇は、感謝と祈りの詩篇です。特に1~12節は、感謝と賛美の言葉に満ちています。そして後半には、苦難の中で心砕かれたダビデの祈りが記されています。私達を信仰の深みへと引き上げてくれます。

★この詩人は、「貧しい者」に自分を置き換えて祈っています。ここで言う貧しいとは、お金がないこととは違います。それはヘブル語で「砕かれた」という意味なのです。ダビデは、敵が連合を組んで迫まって来ていると言っています。その敵を前にして、人間的な計算ではたち打ちできない状況にあるのです。それを貧しい者、または心砕かれた者と言う言葉で現わしているのです。私達も、病気・仕事の失敗・失業等々で、心砕かれるような体験をすることがあります。神様は、そのような心砕かれた者の祈りを聞かれます。

★そのように数々の問題が襲い掛かってきても、神様の御性質を知っていれば立ち上がれるのです。それでは、神様はどのような御性質なのでしょうか。まず、詩人は「あなたはあなたを尋ね求める者をお見捨てになりませんでした」(10節)と記しました。訪ね求めるとは祈りのことで、神様は祈る人を捨てられることが絶対にないのです。また「貧しい者の叫びをお忘れにならない」とも記されています。

★それゆえに、この詩の最初は賛美で始まっています。ダビデにとって「神様を喜び歌う」ことは、音楽上のことではありませんでした。日常のこと、現実生活だったのです。つまり日常において、神様に本当に信頼し、辛い時にも嬉しい時にも祈ったのです。天地万物を創造し、歴史において悪者達の国々を滅ぼし、あるいは衰退させる力の神が、私達のような貧しい者の祈りを聞いて下さる結果なのです。イエス様が「心の貧しい者は幸いである。」と言われたのは、心砕かれた人のことなのです。2節では、心砕かれているダビデが「私は、あなたを喜び誇ります。いと高き方よ。あなたの御名をほめ歌います」と言っています。

★そうであるならば、私達も神様の御名を心から喜び誇るのです。私達は、心から主を誇るクリスチャンとなりましょう。

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