詩篇講解(NO.121)「主はあなたを守る方」121篇1~8節
仁井田義政 牧師
この詩篇には、神殿のあるエルサレムに向かって巡礼の旅をする人の真っ直ぐな心が表わされています。そのためでしょうかこの詩は、詩篇の中でも特に有名な詩篇となっています。
★詩人は最初に「私は山に向かって目を上げる」と記しています。「山」と言うと日本人は「森林」を思い出します。そして森羅万象の創造者を讃える歌だと勘違いしてしまいます。しかしこの詩人の見ている山は、どこを見ても木も草もない山なのです。現代でも、イスラエルを旅行して最初に驚くのは、岩だらけの荒野や山です。
★聖書時代は、山々には偶像の礼拝所がありました。日本の多くの山にも、山頂には祠がありますね。ですから詩人は「私の救いは山からではなく」「天地の創造者から」来るのだと言っているのです。まさに、詩人の助けの確信は、偉大な天地の創造者の守りに置かれています。そして天地万物の創造者である神は、眠ることもまどろむこともなく守って下さると言っているのです。(3-4節)
★さらに詩人は「主はあなたを守る方」と記しています。当時の巡礼の旅はいろいろな危険の伴うものでした。まず自然からの危険です。「昼は日があなたを打つこともなく。夜も月があなたを打つことがない。」とは、巡礼の旅路の自然の厳しさを現わしています。そして「主は、あなたを行くにも帰るにもとこしえまでも守られる。」とは、巡礼の行き帰りの旅が相当な危険が伴ったことが背景となっている言葉なのです。さらに7節の「主はすべてのわざわいから、あなたを守りあなたの命を守られる」の「命」はヘブル語の「ネフェシェ」と言う言葉で、それは単なる生物的命だけではなく、心も体も経済も、生活の全てを守られるという意味なのです。
★人生も旅路に譬えられます。いろいろな事が起こりますが、それらの恐怖心に勝たなければなりません。それは巡礼者が目的としていた礼拝によって与えられます。真の神を礼拝する者が「主は・・とこしえまでも守られる」という信仰を与えられるのです。あなたも真の礼拝者となって、主はとこしえまで私を守られると確信する者になりましょう。