Monthly Archives: 12月 2023

2023年クリスマス礼拝「クリスマスの夜の恐れ」

2023年クリスマス礼拝「クリスマスの夜の恐れ」ルカ2章8~20節

                        仁井田義政 牧師

クリスマスおめでとうございます。クリスマスは、世界中がお祝いムードになっていますが、聖書に出てくるクリスマスの光景は、「喜び」と「恐れ」でした。

★その夜も、羊飼い達は羊達に猛獣が襲ってくるのではという恐れがありました。羊を守る為に雇われて、夜も働いていたからです。その時、羊飼い達に全く違った恐れが襲いました。宗教的な恐れです。羊飼い達はユダヤ人達でした。それは、ユダヤ人が大切にしていた律法を守れず、特に安息日も守れない人たちだったからです。彼らは、当時の人々から「アム・ハーレツ」(地の民)と呼ばれ、天に属していない民と言われていたのです。その身なりも羊毛の油で汚れきって、異臭を放っていたはずです。

★羊飼達が野宿していた近くの高台に、ベツレヘムの町がありました。その町は、皇帝アウガストの人口調査の命令で、旅人でごった返していました。そのような町の喧騒からはじき出された羊飼い達が、突然の天使の出現によって、彼らは「ひどく恐れる」こととなりました。不信仰な私達に神様の裁きの時が来たと思ったからでしょう。

★天使は、羊飼い達に「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです」と伝えました。「民全体」とは、身分に関係なく「すべての民に」という意味です。今まで羊飼い達は地の民と言われていましたが、キリストの誕生によって「天の民」となったのです。羊飼い達は「主が私達に知らせてくださったこの出来事を見てこよう」と、ベツレヘムに向かいました。すると羊飼い達よりも、身を低くして「飼い葉桶に」イエス様が寝かされていました。それがキリストの印でした

★クリスマスは、すべての民に与えられる「喜びの訪れ」なのです。しかし、もう一人キリストの誕生を恐れた人がいました。それはヘロデ大王です。イエスが王様になったら自分の立場が危ないと思い、2歳以下の男の子を全て虐殺しました。自分の生き方を変えたくないため、キリストを排除しようとしたのです。あなたはヘロデ王のように、自分の人生が変わることを恐れて、キリストを排除するのではなく、羊飼い達のように、自分の人生を変えるために、イエス様を信じようではありませんか。

(待降節3)「恵みを思いめぐらすアドベント」

(待降節メッセージ3)「恵みを思いめぐらすアドベント」詩篇77篇1~12節

                        仁井田義政 牧師

アドベント第三週になりました。冬の雨の日に一羽の雀を助け、車の中に入れてあげました。しばらくすると車の暖房で体が温まり、車中を飛び始めました。運転が危険になって窓を開けると、雀は再び冷たい雨の中に飛んで行ってしまいました。その時、神様から「多くの人間も皆そうなのだ」と教えられた気がしました。

★今日の詩篇の結論は、1節の中に記されています。詩人は「声を上げて、神に叫んだ」のです。きれいな祈りではありません。苦しみの叫びです。神様は「その叫びを聞かれる」のです。この詩人は、夜も眠れない程の悩みの中にある老人でした。(4-9節)

★詩人は、このような悩みはなぜ起こったのかと自分の過去に原因を求め、自分の心と語り合いました。私は神様から見放されてしまったのか。私への主の恵みは完全に断たれてしまったのか。神様はいつくしみを忘れてしまわれたのだろうかと、思い悩みました。

★詩人は、弱り果てた信仰と心とを立て直すために、「神の御業を思い起こそう」と決意しました。そして出エジプト記の自然をも動かされた神の御業を思い起こしたのです。(13-20節)この詩人の信仰の回復と、夜も眠れないほどの悩みからの回復は、11-12節の神様の奇しい御業を思いめぐらすことによって、もたらされました。

★今日この詩篇をアドベント第三週のメッセージとした理由は、詩篇77篇と、ルカ2章19節に「思いめぐらす」という言葉があるからです。詩篇の方では、詩人が悩みの解決を求めて神様の恵みを思いめぐらしたことが、ルカの方では、マリヤが羊飼達からキリスト誕生の事を聞いた時、「心に納めて、思いを巡らしていた」ことが記されています。 

★詩篇77篇の詩人にも、マリヤにも深い不安がありました。しかし両者とも、神様の恵みを「思いめぐらして」その不安から解き放たれていったのです。そして、詩人には悩みからの救いが与えられ、マリヤを通しては世界の救い主が与えられたのです。アドベントは、神の愛と救い主の恵みを「思いめぐらし」ながら、主を待ち望む時です。この最後のアドベントの週に、私達は神様の恵みを思いめぐらし、救い主イエス様を待ち望みましょう。

(待降節メッセージ2)「貧しき者の救い主」

(待降節メッセージ2)「貧しき者の救い主」詩篇76篇1~12節

                        仁井田義政 牧師

 今日のアサフの詩篇にも、戦いのことが記されています。いつの時代の戦いかは特定できません。紀元前二千年のアブラハム時代のシャレムというエルサレムの名が出てくるかと思えば、それから約千年後のダビデ時代頃まで使われたシオンというエルサレムの名が出てきます。この詩は、愚かな人間歴史の中で、神様の存在とその働きのことを記しています。

★4節の「あなた」とは、神様のことです。そして「山々」とあるのは、神様に敵対する者達のことです。多くの人々が神様に敵対して取り囲んでいるのです。しかし、詩人は「あなたは輝かしく・・まさって威厳がある」と言っています。つまり神様に敵対する者がどんなに多くても、神様には問題ありません。それは5節にあるように、神様が怒るとどんなに「剛胆な者も、眠りこける。勇士たちも手の施しようがない」からです。

★それでは、神様は何のために戦っておられるのでしょう。それは「貧しい者たちを救うため」です。人間の横暴と罪との戦いです。今日のアドベントにこの詩篇を読んだのは、この9節の御言にあります。アブラハム時代の大昔から現代の戦いまで、人間の愚かな戦争が後を絶ちません。しかし神様は、その愚かな人間歴史の中で、霊的な戦いをし続けておられるのです。

★12節には、神様が「貧しい者たちを救う」ために立ち上がられると、「地の王達は恐れる」と記されています。その神様が、人間歴史に究極的な戦いをキリストの誕生によって開始されました。その時にイスラエルの王であったヘロデ大王は、恐れに満たされました。神様の御子が誕生されたことを知ったからです。そのことはマタイ2章3節に記されています。

★ヘロデ大王もローマ帝国も、キリストを殺したと思いました。しかし殺せませんでした。今なおキリストは生きておられます。イエス様は「貧しいものを救うため」(9節)にこの世に突撃して来てくださいました。しかもたった一人の兵隊も伴わず、無防備な馬小屋に貧しき者の赤ちゃんとして生まれて来てくださったのです。イエス様の武器は「貧しき者を救う」という神の強い愛でした。貧しいとは、経済的な貧しさだけを意味しません。あなたのどんな貧しさからも、あなたを救うために来られたのです。あなたの為に来られたイエス様を、今日、救い主としてお迎え致しましょう。

12月3日礼拝「地が揺らぐとき」

(待降節メッセージ1)「地が揺らぐとき」詩篇75篇1~10節

                       仁井田義政牧師

 今日からアドベント(待降節)に入りました。キリストが誕生するとは私達の世界に「真の王」をお迎えするということです。今日の詩篇は、戦争が背景になっていると思われます。人間が中心になっている世界には、様々な問題が起こります。それを3節で「地の揺らぎ」と記しています。

★地が揺らぐ原因は、4節に「誇る者には誇るなと言い」と記されており、民族主義的な誇りであると思われます。民族的な誇りこそ戦争を生むのです。また「悪者の角」は、神様を信じていない人間中心主義の力の誇示であり、民族の権利の主張です。それは個人に当てはめても、神様を無視した自己選択のことです。それによって人間社会が不安定になるのです。

★不安定と言えば、現在世界も変わることなく、戦争などによって不安定な状態です。ロシアとウクライナの戦争では、今年の夏までに約50万人以上が戦死しています。またこの戦争によって、世界的な食糧不足が起こっています。ウクライナでの穀物生産量は、世界の穀物生産量の4分の1です。しかし戦争によって、充分な輸出が出来なくなっています。今は世界人口の10分の1。つまり8億人以上の人々に十分な食料がありません。この戦争よる食糧難は、アフリカで深刻な状態をもたらしています。

★8節には、神の怒りの「杯」が記されています。人間はこの杯のかすまで飲む定めであったと記されているのです。しかし、その人間に対する神の怒りの「苦き杯」を飲むために、イエス様が代わりに飲んで下さいました。神様は、人間の罪によって「揺らぐ地を」まだ捨てておられません。今年もクリスマスが来るからです。クリスマスとは、今日の詩篇の1節に「御名が近くに」来られた言葉が当てはまります。神なるイエス様が、誕生によって私達の最も近くに来て下さったのです。いや私達の内に来て下さるのです。

★現代は問題が山積しています。そのような問題だらけの私達の所に、主イエス様が来て下さいました。今は世界人口の32%、世界人口の72億人中23億人がクリスチャンになりました。10節の後半に「正しい者の角は高く上げられる」とある通りです。イエス様が真の王として「地が揺らぐ」ところに来て下さいました。そしてクリスチャンに力を与えて下さったのです。ですから私達は、クリスマスを心から大いに祝いしましょう。