詩篇講解NO88「悩みに満ちた者の祈り」88篇1~12節
仁井田義政 牧師
今日の詩篇には「悩みに満ちた者の祈り」が記されています。私達の人生では6節にあるように「最も深い穴」「深い淵」を体験することがあります。神様はそのような「深い淵」にまで、関わって下さる御方なのです。
★3節に「私の魂は悩みに満ち」「命は黄泉に触れている」と記されています。それは死を感じる病気と思われます。その失望の程は、4~7節の中に「私は穴に下る者」「死人の中でも見放され」「殺された者のように」「最も深い穴」「暗い所」「深い淵」と描写されています。また7節には「親友も忌み嫌う者とされた」と記されています。しかもその苦しみは、15節の「若い時から」なのです。信仰者に最悪な失望感は、7節の「あなたの激しい憤りが」とあるところです。神様の怒りがそうしていると記されているのです。それは14~18節にも記されています。
★激しい苦悩に満ちた詩人の人生に、私達の苦しみなど色あせていくのを感じるほどです。この人と比べたら、私の人生の苦しみなどたいしたことはないと思えてしまうのです。この詩の聖書に残されている意味は、そこにあるのではないでしょうか。
★この詩は、失望的な詩ではありますが、絶望的な詩ではありません。それは1節に「主、私の救いの神。私は昼は叫び、夜はあなたの御前にいます」とあるからです。13節でも、祈ることを諦めず「この私は、あなたに叫んでいます。朝明けに私の祈りはあなたに届きます。」と記されています。失望することがあっても、決して絶望することがあってはならないのです。
★キェルケゴールが「死に至る病とは絶望のことである。」と言っています。詩人のように、悩み苦しみ失望的になることもあるでしょう。しかし人生の「暗い所」「深い淵」からでも祈るのです。それが信仰です。あなたも神様を信じて、暗い所や悩みの深い淵から祈ろうではありませんか。