Monthly Archives: 11月 2022

11月27日礼拝「注いで下さい!あなたの恵みを」

詩篇NO36「注いで下さい!あなたの恵みを」36篇5~12節

                        仁井田義政牧師

今日の詩篇36篇は、公的な礼拝での合唱団による賛美のために作られたものです。それだけに、大衆に訴えかけるスケールの大きな素晴らしい内容の詩篇です。その内容は、宇宙の果てから深海の深みにまで言及しています。しかもその広大無辺な神様の恵みは、一個人にも注がれていると歌われています。

★ダビデは、1~4節で悪者の罪を記しています。自分にへつらっているので「悪を認めることも憎むこともできない」また悪者は「寝床での不法のはかりごとをする」と言っています。通常は、寝床で反省をして次の日を迎えるものです。しかし悪者は、さらに寝床で悪巧みをするとダビデは言います。そして朝になると、さらに強く悪行を実行するのです。

★神様の恵みの大きさを5~9節で記しています。恵みは、天につまり全宇宙に満ちています。地球で例えるならば、最も高い山や最も深い海のようです。また神様の恵みは、御翼の陰のようだとダビデは言います。それは母鳥が命をかけて雛鳥を守るように、神様は私達を守って下さるのです。続いて「命の泉はあなたにあり」と記されています。イスラエルの高台に立ってみると、茶褐色の荒野ばかりが続いているのが見えてきます。しかしその中に、ヨルダン川の流れが緑の線となって北から続いています。そのように、命の泉はあなたに流れているのです。

★ダビデは、「あなたの恵みを注いでください」(10~12節)と祈っています。ダビデは信仰者です。この歌を神の家で歌う人々も楽団も、神様を信じる人々です。それなのに「注いでください」と祈っています。それは、「高ぶりが追いつかないように」(11節)です。それは、不法を行なう者は必ず倒れるからです。

★今日の詩篇から教えられることは、悪者が一時的には力強く生きているように見えることがあっても、それに騙されてはならないということです。神様に信頼して生きる者には、「命の泉はあなたに」あるのです。ダビデは、「注いでください!あなたの恵みを」と祈ります。

私達もダビデのように「注いで下さい!あなたの恵みを」と祈りましょう。

11月20日礼拝「友に裏切られたダビデの祈り」

詩篇NO35「友に裏切られたダビデの祈り」35篇11~16節

                        仁井田義政牧師

 この詩は、友に裏切られたダビデの祈りです。信頼していた者に突然裏切られるということほど、辛いことはありません。何か裏切る理由があるならばまだしも、7節にあるように「ゆえもなく」裏切って来たのです。それだけにダビデの苦悩は深いのです。ダビデはその苦悩をどのように乗り越えようとしているのでしょうか。それは祈りによってでした。

★ダビデは、「主よ、盾と大楯をとって私を助けに立ち上がってください」と祈りました。私達人間はすぐに怒りに任せ、辛さに耐えきれずに実力行使をしたいのです。しかし、ダビデは神様にその戦いをゆだねました。神様は真実を知っておられ、完璧に罪ある人を裁くことが出来るからです。

★ダビデに敵対した人は、ダビデが信頼していた人でした。その人が病気の時は「荒布」(13節)をまとったのです。それは絶対的な悲しみを表わしました。また「断食して」(13節)祈ったのです。そして「兄弟や母の死に接したように」(14節)、祈り泣き悲しんだのでした。それなのにダビデに敵対した者は、一抹の倫理道徳の責めも感じることなく、命を狙って来たのです。

★神様に一切を委ね、仕返しをしないというダビデの信仰的な姿勢を、裏切り者は「アハハ、アハハ」(21節、25節)とあざ笑って命を狙って来るのでした。ダビデは、その中で「私の義」(27節)「あなたの義」(28節)と言って、神様への強い信頼をもって祈っています。つまり神様の「復讐は、私のすることである」という信仰の祈りをしているのです。

★この詩篇の最後で、ダビデは「私の舌は、あなたの義と、あなたの誉を日夜口ずさむでしょう」(28節)と結論しています。イエス様はヨハネ15章25節で、「これは『彼らは理由なしにわたしを憎んだ』と彼らの律法に書かれていることばが成就するためです。」と引用されています。イエス様はご自分の敵に、ご自分で復讐することなく、十字架の死に至るまで神様に任せられたのです。それは、人々の目には敗北に見えました。しかしその敗北に見える十字架を、現代でわかるように勝利の象徴にしてくださったのです。あなたも自分の敵と思える人に対して自分で復讐するのではなく、神様にお任せしましょう。そうする時、あなたの心は憎しみから守られるのです。

11月13日「主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた」

詩篇NO34「主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた」34篇1~10節

                        仁井田義政牧師

早いもので、来週はクリスマスの飾り付けです。クリスマスになくてならないのは、暗闇に輝く光ですね。この詩は、ダビデの生涯の中で最も暗闇の中にあった時が背景となっています。どれほど暗かったかと言うと、表題に「アビメレクの前で気が違ったかのようにふるまったとき」と記されています。そのことを記している第一サムエル記21章10節には、アビメレクを「アキシュ」と記していますが同一人物です。アキシュは固有名詞で、アビメレクは称号です。ダビデは、アビメレクの地で絶体絶命の危機に陥りました。ダビデは、そこからどのようにして立ち上がったのでしょうか。

★ダビデはサウル王に命を狙われ、ゴリアテの出身地、ペリシテ軍の地「ガテ」に逃げていきました。しかもゴリアテの剣を布に包んで持っていたのです。その背景は、第一サムエル記21章に記されています。アビメレクの家来がダビデを見て、「彼はダビデだ!」と騒ぎ立てました。ダビデは恐れました。一難去ってまた一難です。彼は気が狂っているように装い、その地を命からがら脱出することが出来たのです。

★ダビデは「私が主を求めると、主は答えてくださった。私をすべての恐怖から救い出してくださった。」と言っています。そして「主を仰ぎ見ると彼らの顔は輝いた」と記されています。人生の暗闇に取り囲まれていても、主を仰ぎ見ると彼らの顔は輝くのです。「主を仰ぎ見る」とは、祈ることです。

★私達が祈る時に、主は必ず私達を窮地から救ってくださいます。ダビデはこの34篇の中で「すべての恐怖から救いだしてくださった」(4節)。「全ての苦しみから彼を救われた」(6節、17節)。「主はそのすべてから救い出される」(19節)と、神様の救いを4回も記しています。イエス様の名は、ヘブル語でヨシュアです。それは「主は救い」という意味です。

★ダビデは心配で心が曇っていたのに、主を仰いで祈った時に顔が輝いたのです。それは、ダビデ一人の体験ではありません。神様は祈る者を必ず助けて下さるのです。

皆さんには、今どのような悩みがありますか。主を仰ぎ祈りましょう。そうするならば、あなたは悩みから解放され輝く者となるのです。

11月13日礼拝「主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた」

詩篇NO34「主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた」34篇1~10節

                        仁井田義政牧師

早いもので、来週はクリスマスの飾り付けです。クリスマスになくてならないのは、暗闇に輝く光ですね。この詩は、ダビデの生涯の中で最も暗闇の中にあった時が背景となっています。どれほど暗かったかと言うと、表題に「アビメレクの前で気が違ったかのようにふるまったとき」と記されています。そのことを記している第一サムエル記21章10節には、アビメレクを「アキシュ」と記していますが同一人物です。アキシュは固有名詞で、アビメレクは称号です。ダビデは、アビメレクの地で絶体絶命の危機に陥りました。ダビデは、そこからどのようにして立ち上がったのでしょうか。

★ダビデはサウル王に命を狙われ、ゴリアテの出身地、ペリシテ軍の地「ガテ」に逃げていきました。しかもゴリアテの剣を布に包んで持っていたのです。その背景は、第一サムエル記21章に記されています。アビメレクの家来がダビデを見て、「彼はダビデだ!」と騒ぎ立てました。ダビデは恐れました。一難去ってまた一難です。彼は気が狂っているように装い、その地を命からがら脱出することが出来たのです。

★ダビデは「私が主を求めると、主は答えてくださった。私をすべての恐怖から救い出してくださった。」と言っています。そして「主を仰ぎ見ると彼らの顔は輝いた」と記されています。人生の暗闇に取り囲まれていても、主を仰ぎ見ると彼らの顔は輝くのです。「主を仰ぎ見る」とは、祈ることです。

★私達が祈る時に、主は必ず私達を窮地から救ってくださいます。ダビデはこの34篇の中で「すべての恐怖から救いだしてくださった」(4節)。「全ての苦しみから彼を救われた」(6節、17節)。「主はそのすべてから救い出される」(19節)と、神様の救いを4回も記しています。イエス様の名は、ヘブル語でヨシュアです。それは「主は救い」という意味です。

★ダビデは心配で心が曇っていたのに、主を仰いで祈った時に顔が輝いたのです。それは、ダビデ一人の体験ではありません。神様は祈る者を必ず助けて下さるのです。

皆さんには、今どのような悩みがありますか。主を仰ぎ祈りましょう。そうするならば、あなたは悩みから解放され輝く者となるのです。

11月6日礼拝「新しい歌をうたえ」

詩篇NO33「新しい歌をうたえ」33篇1~8節

                        仁井田義政牧師

 この詩は「主に向かって新しい歌を歌え」と勧めている詩です。その賛美は「正しい者、心の直ぐな者が歌うにふさわしい」と言っています。そこで今日は「主に向かって歌う新しい歌」と、それを歌う者達の「正しい者、心の真っすぐな者」とは、どのような人のことなのかをお話し致します。

★ 1節を見ますと「正しい者たち。主にあって、喜び歌え。」と記されています。文字面だけですと、倫理道徳に全く問題がないことだけが賛美する人としてふさわしいのだと思ってしまい、私などは資格がないのだ思ってしまいやすいのですが、そうではなく、むしろその逆です。それ「主にあって」と記されていることから見て明らかです。「主にあって」とは、主の御心によってという意味で、旧新約聖書に貫かれている神様の御心に立脚しています。その貫かれている御心とは、罪人や不完全な人を愛する神の愛です。その神の愛はイエス様の十字架によって爆発的に現わされました。そのイエス様を通しての神の愛を信じて感動している人の事なのです。ですから「喜び歌え」は、ヘブル語では「ラネヌー」という語が使われています。その原語の意味は「叫べ」であって大声をあげることなのです。つまり不完全な者こそ、神様の愛と恵に感動して大声で歌えと勧められているのです。

★4~5節には、賛美する理由が記されています。「主のことば正しく、主のわざはことごとく真実である。また主は正義と公正を愛され、地は主の恵みに満ちているからだ」と言っています。しかし、現実の世の中はそうでしょうか。不正が満ち溢れ、悪が支配しているように見えるのです。

★全ての世界の始まりは、神様の言葉によっています。主は「ことばによって」全宇宙を創られたのです。自然発生的に出来たのではありません。聖書は、神が「光よ、あれ!」と言われたので、光があったと記しています。そのことばは「キリストであった」(ヨハネ1:1)と記しています。おおよそ137億年前の宇宙の誕生以前から、キリストは存在していたのです。それは「御口の息吹によって創られた」宇宙万物が、今も神の聖霊によって保たれているのです。

★しかし天地創造の初めから、神様が支配し守って下さっていることを、多くの人は知らないのです。そのために、王は軍隊が少ないことを恐れて、平安を得るために軍隊を大きくし、軍馬を多くすると今日の詩篇は言っています。人生が上手くいっていると自分の力を誇り、自分の思い通りにならないと、不安になってしまうのです。

★新しい歌を歌う人とは、人生が上手くいっている時にも、上手くいっていない時にも、神様が全てを支配してくださっていることを信じて、感謝して神様を賛美する人のことです。それが「正しい者たち、主にあって、喜び歌え。賛美は心の直ぐな人達にふさわしい」という意味なのです。良い時にも悪い時にも、神様の揺るぐことのない守りを信じて感謝する歌、それこそが「新しい歌」なのです。

私達は、生活が順風満帆である時にも、あるいは嵐のように感じる時にも、主の守りを信じて感謝する生き方をしましょう