詩篇講解NO.106「神に逆らい続けた民」詩篇106篇1~15節
仁井田義政牧師
106篇は、前の105篇と同じ出エジプト記を背景にしています。105篇はその時の神様の驚くべき救いの御業が記されていました。今日の106篇は、その時のイスラエルの民が、神様を何度も裏切ったことを記しています。
★この詩の作者は、イスラエルの民の裏切りの歴史を書きました。総論的に言えば、イスラエルの民は出エジプト時に荒野で何度も神様を裏切りました。そして約束の地に入ってからも、何度も神様を裏切り続けたのです。
★最初の裏切りは、「私達はエジプトの奴隷の方が良かった」(出14章)と神様への叫びとして出てきます。そうかと思えば、紅海を渡った直後には「感謝の踊り」(出15:20)をしたりしています。詩篇106篇13~14節に「しかし、彼らはすぐに、御業を忘れ・・激しい欲望にかられ」と記されています。その欲望とは「われわれは思い起すが、エジプトでは、ただで、魚を食べた。きゅうりも、すいかも、にらも、たまねぎも、そして、にんにくも」(民11:5) との叫びです。また十戒で有名なシナイ山のふもとでは「金の子牛」(19節)を作って偶像礼拝をしました。さらには「異教の偶像に仕え、自分の子供たちを悪霊の生贄として捧げた」(37節)というおぞましい事すらしたのです。
★それでも「主は彼らの苦しみに目を留められ」(44節)彼らを助けられました。しかし神様は、愛する民達に何度裏切られたことでしょう。私達は一人に裏切られても、心が激しく痛むのです。神様の心に、裏切られる度に激痛が走ったことでしょう。私達は、神様の心を痛めてはなりません。この詩人は6節で「私達は先祖と同じく・・罪を犯し」と言っています。自分も神様の心を痛めたことがあると言っているのです。
★今日、私達は自分の心を深く顧みましょう。「私は神様の心を痛めたことが有るか無いか」を振り返ってみましょう。無い人はいないと思います。私達は悔い改めて「これからは信仰にしっかりと立って歩んでいきます」と祈ろうではありませんか。そうして48節の「ほむべきかな、イスラエルの神」と勝利の宣言をして、新たに信仰から信仰へと進んで行きましょう。