仁井田義政牧師
今日の詩篇は、非常に感情的な詩です。現実の戦争は、残虐であり、激しい感情がぶつかり合い、憎しみの火花が散る地獄です。イスラエルの南王国ユダは、紀元前587年、新バビロニア王国のネブカドネツァルによって滅ぼされました。その時、ゼデキヤ王の子供達は目の前で殺され、王の両目はつぶされ、鎖につながれて、バビロンに連れて行かれました。その時の捕囚人数は約1万人です。この詩は、そのような時代背景の中で作られたものであることを踏まえて、読まなければなりません。
★ハビロンの地に捕らえ移されたイスラエルの民達は、二つに分かれました。奴隷の地で、その地の豊かさに心惹かれ、支配者におもねる人々と、頑として信仰を貫く人々です。ペルシャがバビロンを倒し、イスラエルの人々が解放された時、10部族が自らバビロンに残ることを選んだのです。
★この嘆きの詩は、信仰を守り通した人の歌です。彼がハビロンで苦しんだのは、神の名が汚されていることでした。ハビロン人達は「戦争に負けたお前の神は何処にいるのだ」「お前たちの神を讃える歌を歌え」と言ってあざ笑ったのです。イスラエル人の多くはその屈辱に屈して、ハビロン人と同化していきました。そのような中で、この詩人は「私は忘れない」と信仰を告白しているのです。
★7~9節は、憎しみの詩です。エドム人は、バビロン軍と一緒にエルサレムを攻撃しました。このエドム人の子孫が、イエス様時代のヘロデ大王なのです。彼は、ユダヤ人から王が出ることを恐れていました。その時、東方の博士達が「ユダヤ人の王は何処に生まれましたか」と言って訪ねて来ました。(マタイ2:1~3)今日の詩篇から587年も経ったイエス様の時代になっても、ヘロデ大王はイスラエル国民の仕返しを恐れたのです。そうして2歳以下の男の子を皆殺しにしました。
★戦争は両国に大きな傷を残します。平和な時に「戦争は絶対に良くない」と言うのは簡単です。しかし戦争になりそうな時「戦争は良くない」というのは非常に難しいのです。私達は、戦争がないこの時代に「戦争は絶対悪である」と主張し、戦争に反対し、平和を祈りましょう。
詩篇講解NO137詩篇講解NO137「バビロンでの嘆きの詩」詩篇137篇1~9節
仁井田義政牧師