マタイ講解NO31「私達の病と主の十字架」マタイ8章14~17節
仁井田義政牧師
イエス様の時代は、安息日に病気を癒すことは禁じられていました。イエス様がそれを打ち破ります。イエス様がこの世に来られたのは、人々を苦しみから解放するためです。今日は、十字架と私達の関係をお話し致します。
★ペテロの姑が、安息日に熱を出して病気で臥せっていました。それを聞いたイエス様は、安息日の礼拝帰りにペテロの家に行き、ペテロの姑を癒されました。しかし、あと数時間待てば安息日が終わって、安息日の習慣を破らずに癒すことが出来たはずです。イエス様は人々を苦しみから救うためにこの世に来られました。ですから安息日の癒しも、ためらわなかったのです。
★癒された姑は直ぐに起き上がり、イエス様とその弟子達をもてなしました。料理を出したのです。ざっと数えてもイエス様の弟子が12人。イエス様とベテロの姑と合わせると14人もの食事の用意をし、仕えたのです。ギリシャ語の「仕える」の言葉は①ドゥレイウォー:奴隷として強制的に仕える。
②ラトレウォー:賃金のために働く、神に儀礼的奉仕をする。
③ディアコネーオ:相手の必要に気づき、進んで手を差し伸べる。
この姑の所には、③のディアコネーオが使われています。
★夕方になり、安息日が終わりました。すると安息日終了を待っていた人々が大勢イエス様に癒しを求めて押し寄せてきました。イエス様は、それらの人々の霊的患いや、肉体的な病気をみな癒されました。それは預言者イザヤが53章で預言していたことの成就でした。それは肉体的・精神的癒しです。
★イエス様は、私達に平安と感謝の人生を与えるために来られました。イエス様はペテロの姑ひとりの為にさえ安息日を破り、罪を着せられ十字架につけられることに繋がっていくのです。イザヤの預言の通り「私達のわずらいや病を背負った」のです。癒し主イエス様を信じましょう。