Monthly Archives: 2月 2023

2月26日礼拝「神にほめうたを歌え」

詩篇NO47神にほめうたを歌え」47篇1~10節       

仁井田義政 牧師                              

 今日の御言には「神にほめ歌を歌え」と何度も繰り返されています。キリスト教会と賛美歌は、切り離せないものです。今日は、神様をほめたたえる素晴らしさをお話しいたしましょう。

★大々的に主を賛美する姿は、紅海の奇跡の直後(出エジプト15章1~21節)に出てきます。賛美歌を一般大衆と結びつけたのは、ダビデ王でした。そして詩篇は、旧約時代の礼拝賛美集なのです。新約時代も賛美は一般の人々のものでした。イエス様と弟子達は、最後の晩餐の後に賛美をしました。またパウロとシラスがピリピの牢獄(使徒16章24~25節)で賛美した時に、奇跡が起こったことが記されています。コロサイ3章16節、エペソ5章18~19節には、「詩と賛美と霊の歌」による賛美が推奨されています。

★しかし先週も話しましたが、教会の賛美はローマ皇帝の迫害によって禁止されてしまいました。約300年間です。ローマが313年にキリスト教を公認すると、今度は367年のラオデキヤの教会会議で、一般大衆が賛美することが禁じられてしまいました。教会の礼拝で賛美できるのは、聖職者と音楽の専門家だけと決められてしまったのです。聖書も賛美も教会で聞くだけになってしまいました。しかも賛美はラテン語(ローマ語)だったのです。人々は教会で賛美歌を聞いても、歌詞の意味も分からない状態でした。

★そのような賛美の暗黒時代は、1517年のルターによる宗教改革まで続きました。実に約1200年間も、教会に会衆賛美はなかったのです。それに異議を唱えて宗教改革者のルターは、自ら賛美歌を作り自国語で歌うことを推奨しました。ルターの約200年後に、現代音楽の父と言われるセバスチャン・バッハがプロテスタントから出ました。その後、イギリスで多くの賛美歌が作られました。その後アメリカで黒人霊歌、ゴスペルが生まれました。今では、誰でも賛美歌を作り、歌うことの出来る時代になったのです。

★今日の詩篇47篇6~7節には「ほめ歌を歌え」が5回も繰り返し奨められています。私達は、コロナ禍で礼拝賛美の面でもだいぶ圧迫された数年を過ごしました。コロナも世界的に収束に向かっているようです。私達も「手を叩き喜びの声を上げて神に向かって叫ぶ」賛美の回復を目指しましょう。

2月19日礼拝「主は苦しむ時の助け」

詩篇NO46主は苦しむ時の助け46篇1~11節       

仁井田義政 牧師                              

 この46篇は、宗教改革者として有名なマルチン・ルターがこよなく愛した詩篇です。彼はこの詩篇をもとに聖歌233番「御神は城なり」を作曲しました。この歌を作曲した時は宗教改革の激務の中にあり、痛風、不眠症、痔、便秘、結石、激しい耳鳴り等の病気に苦しんでいました。ルターは多くの苦しみの中で、この曲を生涯の愛唱歌としていたと言われています。この詩の表題には「アラモナに合わせて」という言葉があります。それは高い声でと大きな声でという意味があるそうです。

★1~3節は、天変地変のことです。最近もトルコやシリアに地震が起きました。死者数は3万人を超えています。東日本大震災の死者数と行方不明者を合わせると、20,960人ですから、既にその数を超えています。

★4~7節には、人災の戦争のことが記されています。6節の「国々は立ち騒ぎ、諸方の王国は揺らいだ」とはそのことです。現代も、独裁主義の国家と民主主義の国家が多数衝突しています。民主主義国家も、指導者が憲法をいじり始めると独裁国家となっていくこと多いのです。

★人間が戦争を止める日は、いつ来るのでしょうか。9節の「弓をへしおり、槍を断ち切り、戦車は火で焼かれ、地の果てまでも戦争をやめさせる」日は、いつ来るのでしょうか。残念なことに、それはキリストの再臨の時まで続くでしょう。それまで人間の愚かさが、戦争を起こし軍備に次ぐ軍備を続けるのです。日本も決して例外ではありません。聖書によると、キリストの再臨の日まで戦争はなくなりません。

★人間の愚かさが最高点に達した時、キリストは人間を裁くために再臨されます。その時イエス様は、神様を信じる者達を救ってくださいます。4~5節の「川の流れがある神の都」で表わされています。この神の都は、礼拝所のあるエルサレムでした。しかしエルサレムは、神の御子イエス様を信じることなく、十字架に付けて殺してしまったのです。ルカ19章41~44節を見て下さい。オリーブ山からエルサレムの町が見えた時、号泣されたことが記されています。現代のエルサレムは、神様を礼拝する教会と考えられます。ですから10~11節にあるように、「私こそ神であることを知れ。万軍の主はわれらと共におられる」という確信に満ちることが出来るのです。礼拝者にとって、神様は「私達が苦しむ時にそこにある助け」なのです。

2月12日礼拝「愛の歌」詩篇45篇1~7節

詩篇NO45「愛の歌」45篇1~7節       

仁井田義政 牧師

 詩篇の第二巻に入って、42篇・43篇・44篇と、暗く重苦しい詩篇が続きました。しかし今日の45篇は、突然長いトンネルから抜け出た時のように、明るさと喜びに満ちた詩篇となっています。この詩は、150篇ある詩篇の中で唯一の恋愛詩なのです。その内容は、若き王が異国の地から花嫁を迎える様子が書かれています。その王が誰であったかは特定できません。しかしこの詩は、私達クリスチャンにとって関係深い詩なのです。

★「私の心は素晴らしい言葉で沸き立っている」と記されています。それは若き王に対する花嫁の賛美の言葉です。その若き王の口からは、優しさが流れ出ています。その根源は「神様があなたを祝福しているから」と記されています。この若き王は優しいだけではなく、どの国もこの若き王に立ち向かえば、みな倒れると記されているように、力に溢れた王でした。

★この王の支配は、6節に「世々限りなく」と記されています。このような王は、今までの世界歴史の中に存在しません。7節に「喜びの油を注がれた」と記されています。油注がれた方と言えば、まさしくキリストです。それは、ヘブル書1章8~9節にこの御言が引用されていることで明らかです。唯一キリストこそ、神に油注がれた方であり、世々にわたる力にあふれた王なのです。

★不思議なことに、詩篇45篇の「神に油注がれた方の花嫁」は異邦人でした。そのために「あなたの民と父を忘れよ」と記されています。この花嫁は外国のツロから来たかもしれません。それは12節に「ツロの娘は贈り物を携えて来」と記されているからです。新約聖書には、キリストが花婿で私達はキリストの花嫁と記されています。

★今日の詩篇の最後には、花嫁となった者たちの子孫による祝福も記されています。そこには「あなたは彼らを全地の君主に任じよう」と約束されています。マタイ15章21~28節には、ツロの女性とイエス様との出会いが記されています。イエス様は、ツロの女性の信仰に感動して「あなたの信仰は立派です。あなたの願いどおりになりますように」と祝福して下さいました。私達も民族的には異邦人です。しかし信仰のゆえにクリスチャンと認められたのです。ですから私達も表題にあったように、キリストへの「愛の歌」を心から捧げるクリスチャンになろうではありませんか。

2月5日礼拝「主よ。立ち上がってください」

詩篇NO44「主よ。立ち上がってください」44篇1~9節

                      仁井田義政 牧師

 今日の第二礼拝後は、2023年度の大切な教会会議が行なわれます。コロナに対する意識もだいぶ変わってきました。教会も三年に亘る自粛的な活動から、積極的な活動へと変化していかなければならない年となってきました。今日の御言はそれにふさわしく、教会が何を中心としていかなければならないかを教えています。

★この詩は、詩篇の中で最も暗い内容であると言われています。26節中の17節は暗い内容であり、比較的に明るい内容は9節のみです。その内容は、敵に支配されている状況です。しかしその中で詩人は信仰を守り、主の助けを祈っています。しかし神は眠っているかのように何の助けもないのです。

★詩人は「そのような神は、私達が聞いていた神とは違う」と言っています。先祖たちが語ってくれた神は、敵である国々を追い払う神でした。その通り親達は子供達に、出エジプト記の紅海の奇跡や、ヨシュア記のヨルダン川の奇跡などの「奇跡の神」を語り聞かせたのです。すべての事は、人間の力(弓や剣)や能力ではなく、神の御力によってなされることを教えたのです。

★9節には「それなのに」と言う深い絶望の言葉が記されています。それなのに、私達の国を敵に渡されたと言うのです。11~13節を見ると、奴隷となったのかもしれません。そのような絶望的な中でも、彼らは「あなたを忘れませんでした。契約を無にしませんでした。あなたの道からそれませんでした」(17~18節)と記されています。どんなに祈っても神様に無視され捨てられているように見える時にも、神様を裏切らなかったのです。

★それは、神様の「愛」(3節)と、「恵み」(26節)を信じているからに他なりません。どんなに天候が悪く嵐が襲っている時でも、太陽がなくなっているわけではありません。雲の上には、いつもと変わらない輝く太陽があるのです。詩人はその暗い状況にあっても、闇の上には光り輝く神様がおられることを信じ、その神様に祈っているのです。私達も、たとえどのような状況にあっても、神様を信じて祈りましょう。必ず神様は、その祈りに御心を示し栄光を現わして下さるのです。