ペンテコステ礼拝「聖霊のバプテスマ、神の力」使徒の働き2章1~4節
吉原博克師
今日は教会暦で「五旬節/ペンテコステ」と呼ばれる日です。これは、ユダヤ教の「初穂の祭」キリスト教の「復活節」から50日目で、ユダヤ教では「七週の祭」とも呼ばれます。旧約聖書ではレビ記23:15-16などに定められています。
★「使徒の働き」では2章全般にわたり、神の霊である聖霊が弟子達に、人々にわかる形で注がれた様子とその結果が記されています。私達ペンテコステ派を含む諸教派の中には、ヨハネ19:20-23から、弟子達には既に復活の日の晩に聖霊が与えられており(内住)、使徒2章ではさらに、誰にもわかる顕著な奇跡として注がれたのだ(バプテスマ)、と考える立場もあります。使徒2章の日に主を信じた三千人(の多く)には、この「内住」と「バプテスマ」の二つが同時に起こったのだ、というわけです。
★いずれにせよ、現代を生きる私達の場合、イエス様を信じているならば聖霊は既に与えられています。ご安心ください。パウロはこれを「証印を押され」「御国を受け継ぐことの保証」(エペソ1:13, 14)と呼び、これにより私達は神の子どもとされているのだと教えています(ガラテヤ4:6)。
★その上で、私達ペンテコステ派は、加えてこの使徒2章の異言を伴う「聖霊のバプテスマ」が、今の時代にも頂けると信じる教派であり、多くの兄姉がこれを体験しています。そして、これを初めて体験した日を、通例「受霊日」と呼んでいます。ただし、上の「内住」の教えとの関連で、特にこの「バプテスマ」を信じない人々との対話では注意が必要です。
★異言は、「御霊が語らせるままに」(4節)とあるように、不思議な音のつながりとして顕れますが、怖がったり、不審に思うことはありません。「他国の」(同)いわゆる「○○語」であることは、事例としては報告されているものの稀です。体験の形も様々です。この午後の待望会のような特別な場で頂けることも多いですが、日々の祈りや讃美の中で頂く人もいます。リラックスし、主に悔い改めと感謝を捧げつつ、委ねて求めてみましょう。
★異言で祈れることは、ただただ恵み、賜物です。信仰の大小優劣とは無関係です。そしてイエス様がおっしゃったように、「力」(使徒1:8)です。信仰生活、奉仕、証の力です。期待しつつ、求め続けていきましょう。