Monthly Archives: 1月 2024

1月21日礼拝「惨状の中の祈り」

詩篇講解NO79「惨状の中の祈り」詩篇79篇1~13節   仁井田義政牧師

 今日の詩篇は、大変重苦しい内容です。それは、今から約2500年前にイスラエルの民がバビロンに奴隷として連れていかれたことが背景になっているからと考えられています。戦争の光景は、今も昔も破壊された町と、軽視された人の命の惨状です。完全に破壊された虚無的な廃墟の中で、今日の詩人は「嘆きの詩」を記しています。

★神の都エルサレムは、必ず神が守って下さる!神殿は神の家だから絶対に破壊はされない!と人々は考えていました。しかし、バビロン軍によって瞬く間に廃墟とされ、死体さえも埋葬されることなく、空の鳥、野の獣の食い荒らすままに任せる状態でした。その結果、敵達は「お前たちの神様はどこにいるのか」と嘲ったのです。

★このような惨状の原因は、先祖たちと私達の不信仰にあると詩人は認めて祈っています。(5-8節)詩人は、エルサレム壊滅、神殿壊滅、人命軽視の原因を、神様の無力さには置きませんでした。「むしろ力の神の怒り」と理解したのです。神様は何度も預言者を起こして「不信仰の罪を悔い改めるように、このままではエルサレムの町も神殿も滅ぼされてしまう」と語りかけました。しかし人々は、その忠告を軽んじました。

★詩人は、その「先祖と自分達の罪」を認めました。しかし「私達の救いの神よ。御名の栄光のために、私達を助けて下さい」(9節)と祈りました。これは、私達にとっても非常に大切な部分です。私達も、全てを失ったかのような惨状を体験することがあるからです。しかもその惨状の中で、神様の偉大な力に触れることがあるからです。

★マルコの福音書4章35~41節の中には、ガリラヤ湖で嵐に遭った弟子達のことが記されています。「ところがイエスだけは艫(とも)の方で枕をして眠っておられた」と記されています。弟子達に、イエス様に対する不満が起こりました。イエス様が「さあ、向こう岸に渡ろう」と言われたことを、弟子達は忘れてしまっていたのです。その結果、波に極限の不安を感じたのです。イエス様は、そのような弟子達の不信仰にも「風と波を静められ」ました。彼らを愛しておられたのです。

私達も、どのような状況の中でも、神様の愛を信じて生活しましょう。

1月14日礼拝「歴史の中に神を見る」

詩篇講解NO78「歴史の中に神を見る」詩篇78篇1~8節    1月15日

マタイ13章34~35節 仁井田義政牧師

今日の詩篇78篇が書かれた目的は、歴史の中に神様の姿を見るためです。新年が始まり、私達の歴史にも一年を加え始めました。それは無機質な一年ではありません。歴史は神様の物語なのです。

★私は、9歳の頃に篠笹山に迷ってしまったことがありました。自分がどこにいるのか、分からなくなってしまったのです。その時、熊の歩く足音を聞きました。歴史の中に自分がどこにいるのかが分からなくなってしまうのは、山の中に迷ってしまっている状態と同じです。

★今日の詩篇2節には「私は・・たとえ話を語り、昔からのなぞを物語ろう」と記されています。それは、先祖達から聞いたイスラエルの歴史のことでした。歴史には、そのように神様の心が隠されているのです。なぜ隠されているのかと言いますと、それは見ようとしない者に、見ることが出来ないように隠されているのです。この詩篇の目的は、それを明らかにして、自分たちは勿論のこと、その歴史を子々孫々に伝えるためなのです。

★この詩篇には、出エジプト記からの神様の歴史が記されています。「それなのに」(17節)「にもかかわらず」(32節)「神を痛めた」(41節)と、イスラエル民族の不信仰を連続して記しています。それでも神様は、イスラエルに悔い改めのチャンスを与えられました。それは、ダビデの選びによってでした。彼は優れた家の出ではありませんし、優れた学問を得た人でもありません。羊飼いの少年に過ぎなかったのです。それは、神様の選びの素晴らしさです。

★さらに神様は、私達の為に悔い改めのチャンスを与えられました。それは名もなきナザレのマリヤを通して与えられたキリストです。名もなき羊飼いダビデを神様は選ばれたように、名もなきナザレのマリヤを選び、救い主イエス様を世に送られたのです。自分の価値をさえ、見出せないで悩んでいるあなたを、神様は高価で尊いと認め、命をかけて愛して下さっているのです。

そう信じて自分を見て下さい。そこには、神様に愛されている自分が見えるはずです。神様を信じて、しっかりと道筋の見える人生を歩きましょう。

2024 年の御言と標語「主をおのれの喜びとせよ」

2024 年の御言と標語「主をおのれの喜びとせよ」詩篇 37 篇 4 節
仁井田義政 牧師
あけましておめでとうございます。今年は、日曜日と元旦が続いていまし
たので、元旦礼拝がありませんでした。毎年、元旦礼拝で「今年の御言と標
語」からメッセージをとりついでいましたので、今日の礼拝でお話致します。
★今年の御言は、詩篇 37 篇 4 節です。この詩篇はダビデの作で、あいうえ
お順に並べられた詩です。もちろんヘブル語ですから、ヘブル語で「アーレ
フ、ベース、ギーメル、ダーレス」と続きます。どうしてあいうえお順なの
かと言うと、第一には覚えやすいようにとの願いがあったと思われます。ま
た、日本の子供のかるた遊びのような要素もあります。
★この詩篇には「腹を立てるな」という言葉が 3 回も使われています。何に
「腹を立てるな」と言っているかというと、悪を行なう人に対してです。そ
れでは、悪には目をつぶって見ないようにせよと言っているのでしょうか。
そうではありません。「ねたみを起こすな」と言っているのです。ねたむと
は「私もうまくやりたい」という心です。悪を行なう人は、一時的に栄えて
いるように見えても、たちまちにして青草のように枯れると言っています。
★クリスチャンの生き方は「主をおのれの喜びとすること」であると記され
ています。それは主に信頼し善を求め誠実に生きることです。自分のことは
二の次で、主が喜ばれることを「おのれの喜び」とすれば「主があなたの願
いをかなえて下さる」(4 節)と教えています。
★山崎パンは、日本の輸入小麦の10%を使うほどの大企業で、年商9000億円
以上と言われています。その創業者は飯島藤十郎です。創業時に経営方針を
めぐって、弟の一郎との内輪もめが起こりました。仲裁に入った藤十郎の息
子までが、巻き込まれてしまいました。話し合った結果、三人で洗礼を受け
てクリスチャンになるということで、解決しました。しかし洗礼を受けた11
日後に、工場が全焼してしまいました。その時、三人は「これは、今まで私
達があまりにも事業本位で仕事を進めてきたことに対する神様の戒めだ、こ
れからは神様の御心にかなう会社に生まれ変わります」と祈ったのです。そ
の結果、現在の山崎パンがあるのです。
私達も「主をおのれの喜びとして」生きる者の祈りに応えて下さる神様を
信じて、力強く前進しましょう。