詩篇NO27「私のただひとつの願い」27篇4~6節,13~14節
仁井田義政牧師
私達は、日常生活の中で時には疲れを感じ、暗闇に取り囲まれているように感じてしまうことがあります。ダビデも戦いの真っただ中で、疲れと闇を感じていました。その中でも、ダビデには揺るがない希望がありました。それは1節の中に出てくる「光」の存在です。それゆえに、力に満ちたこの詩を書くことが出来たのです。
★ダビデにとって、一番大切にし、一番願っていることがありました。それは、主の家に住むことでした。主の家で、生涯にわたって神様を賛美し、礼拝するということでした。イエス様も、ベタニヤのマルタとマリヤの家で「大切なのはひとつだけです」(ルカ10:38~42)と言われました。
★ダビデは、主の家で祈っている時に「あなたに代わってわたしの心が申します。わたしの顔を慕い求めよ」(7~8節)と言う心の声を聞きました。「わたしの顏」とは神様のことです。そして「あなたに代わってわたしの心は申します」とは、主が言われないのに私が言うという意味ではありません。主の言っておられることが魂の中で、本当に分かるということです。
★13節では「生ける者の地で、主のいつくしみを見ることが信じられなかったなら」と疑問形になっています。それは、苦難の時に主の宮で祈ることが出来ることが、どんなに幸せなことかを意味しています。それゆえに、ダビデは、戦いという日々の命の危険の中でも、主の宮で祈り賛美する礼拝を第一としたのです。ですから人々にも「主を待ち望め。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め、主を。」(14節)と奨めることができたのです。
★現代は、ストレスの多い時代です。そのために日本人の成人20人に1人が、睡眠薬を飲んでいるという報告があります。不眠症になった時には、医者の指導のもとに睡眠薬を服用することもあるでしょう。しかし聖書は、ダビデのように戦争というストレスの多い中においても、平安でいられる道があることを教えています。それが「主の宮に住まう」ということであり、ダビデの「ひとつの願い」(4節)なのです。私達も三千年前のダビデの「待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。主を。」との奨めに、「アーメン」と心から応えようではありませんか。