詩篇講解(NO.1)「正しい者と悪者の道」1篇1~6節
仁井田義政牧師
今日から旧約聖書の詩篇の講解メッセージを開始します。詩篇は150篇ありますから、これから一回の礼拝で一篇のスピードでお話していきたいと思います。詩篇からのメッセージを通して、神様が私達を霊的に成長させて下さることを信じます。
★「詩篇」と言いますと、詩集と思う方がいらっしゃると思いますが、ヘブル語のテヒリムは、「賛美」あるいは「賛美の歌」と言う意味です。その題から見ても、昔の讃美歌集であったことが分かります。しかし今から三千年以上も前の讃美歌なので、楽譜が無かった時代でもありメロディは喪失してしまいました。
★詩篇一篇は、「幸いなことよ」で始まっています。それは感嘆文です。それから見ても、詩篇は感情豊かな文章であることが分かります。何が幸いなのでしょうか。「それは不信仰者の側に立たず、神様や信仰者をあざけるような人と一緒にいない」人だと言っています。さらに「昼も夜も主のおしえを口ずさむ人。その人は水路のそばに植わった木のようだ」と言っています。この所の水路は「複数形」で、そのそばに植わった木は「植えられた木」の意味です。つまり神様が農園主のように、私達を植えてくださったというのです。農園主である神様は、私達に実がなるようにと愛を込めて世話をして下さいます。ですから当然、神様の恵みによって実がなり、また栄えるのです。
★悪者はそれとは違い実がないので、風に吹き飛ばされてしまうと作者は言います。また悪者は、正しい者の集いに立てないとも言います。つまり天国の礼拝には入れないのです。悪者はどんな生き方をしても滅びるのです。
★今日の詩篇の内容は、神様を信じて生きて行く人は、水路のそばに植わった木のように実を結び、不信仰な人は神様が祝福されないので必ず滅びていく。このシンプル極まりない信仰の秘訣を、しっかりと自分の人生に当てはめることが出来る人は幸いです。信仰生活をシンプルにしましょう。神様を信頼する人は何をしても栄え、神様を信じない人は何をしても滅びるのです。ですから私達は「主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさみ、水路のそばに植わった木のよう」に生きて行きますと決心し、心から祈りましょう。