詩篇NO43「なぜうなだれいるのか」43篇1~5節
仁井田義政 牧師
今日の43篇と前の42篇とは、非常に似ています。それゆえにこの二つの詩は、本来ひとつの詩であったのではないかと言われています。ともに最後の節などは、全く同じなのです。その内容は、どちらも深い悩みに満ちています。その悩みの中での神様への問いと、自分自身への問いがなされています。そういう意味で、困難の中に生きる私達の詩なのです。
★1~2節で、詩人は「不正の人から助けてください」と神様に訴えています。そして「あなたは私の力の神であられるからです」と祈っています。す。そう信じれば信じるほど、詩人は良くならない現状のために苦しみが増しているのです。神が力の神であるなら、私は神から拒まれ捨てられているとしか考えられないと言っています。
★ダビデは、エルサレムから遠く離れた所から、エルサレムの神の家を慕い、祈っているのです。それは3~4節に「聖なる山、あなたのお住まい」と記されていることでわかります。私達はなんと幸いなことでしょう。神の家である教会が、悩みの時の「祈りの家」として、いつでも行ける距離にあるのです。ダビデにとって最も喜びとすることは、神の御許に行って礼拝することでした。
★ダビデは、辛さでくじけそうになった時「わがたましいよ。なぜおまえはうなだれているのか。なぜ思いが乱れているのか」と、自分の深部に語り掛けました。ダビデは、自分に問いかけたのです。実生活の中で、何が起ころうとも、何が起こらなくとも、神様が神様であられることに変わりはありません。ですからダビデは「神を待ち望め。なおも神をほめたたえる」と言って、その信仰を深めたのです。
★ダビデのような困難や苦難に遭うことを、進んで望む人はいません。しかし困難や苦難は、私達が望むと望まざるとにかかわらず、私達の人生には起こるのです。ですからダビデは「神を待ち望め。なおも神をほめたたえる。私の神を」と、自分に言い聞かせて信仰を強くしたのです。
私達も苦難や困難に遭う時に、ダビデのようにもう一度信仰をジャンプさせましょう。