詩篇講解(NO.5)「自分の心を見張る人」5篇1~12節
仁井田義政 牧師
今日の御言のように、私達の人生には苦難があります。苦難は、私達の心を鍛えることもありますが、心を弱らせて絶望的な人生にしてしまうこともあります。日本の昨年の自死者は、21,007人でした。動機の一位は病気で、二位は生活苦でした。私達は、どのように生きて行けば良いのでしょうか。今日の御言はそのことを教えています。
★ダビデの朝の祈りは、祈りと言うよりも「うめき」であり「叫び」でした。今日も敵がダビデの命を狙ってくるのです。私達にとって命を狙うものは、病気も経済的なこともそうです。ダビデはその圧迫によって、祈りが「うめき」「叫び」となっていたのです。
★3節の「備え」は、動物の犠牲のことです。昔は、羊などの群れの中で一番良い羊を祭壇に捧げました。動物犠牲は、自分の罪の身代わりとして捧げたもので、自分の心を省み見張る時でした。当時、羊全てに名前が付いていました。一番良い羊なら尚更のことです。私たち日本人は牧畜民族ではないので、この感覚はわかりにくいかもしれません。しかし愛しているペットを自分の罪の身代わりとして犠牲として捧げなければならないとすれば、どんなに悲しい思いをするでしょうか。その時に、自己中心になりがちな心を見張り、神様に喜ばれる生き方をする決心をしたのです。
★7節でダビデは、自分の心を守る為に「私は、豊かな恵みによって、あなたの家に行き、あなたを恐れつつ、あなたの聖なる宮に向かってひれ伏します」と言っています。私は、あなたの豊かな恵みによって神の家に行って祈る」と記しています。この所で大切なのは「神の恵みによって」と記されていることです。誰も自分は正しい人間だからと言って、神のもとに来ることはできません。「神の豊かな恵みによって」なのです。
★この詩は「うめき、叫ぶ」の声で始まっています。苦しみの時にこそ朝ごとに祈り、夕ごとに神の家に来て、自分自身を神に捧げつつ礼拝し祈るという詩です。そのようにして自分の心を見張るのです。主はそのような正しい信仰者を「大盾をもって守られる」(12節)のです。私達も、困難にあった時に「心を見張る」ことを心掛け、いっそう信仰に歩むことを決意し祈りましょう。神様は、必ず大盾をもって守ってくださいます。