Monthly Archives: 5月 2024

5月12日礼拝「人の子らよ、帰れ」

詩篇講解NO90「人の子らよ、帰れ」90篇1~12節

                        仁井田義政 牧師                              

 詩篇の講解メッセージも、第四巻の90篇に入りました。あと60回話しますと、詩篇の全てをお話しすることになります。詩篇は詩文であるだけに、作者は大きなテーマも、言葉を短縮して記しています。90篇の内容も「人間の死とは何か。人間の手のわざとは何か」を、わずかな文字数でシンプルに記しています。それだけにストレートで、読む者の心に刺さるのです。

★私達人間は、永遠の神の前に草のような存在だと、3節~12節で述べています。人間は、数百年も生きることのある木でもなく、草のような存在なのです。草は、春に芽を出しても秋には枯れてしまう短い命です。創世記6章3節にあるように、人間が長生きしても120歳を超えるとニュースになる程難しいのです。その一生は「労苦と災い」に満ちていると言っています。

★詩人は「自分の日を数えることを教え、手のわざを確かなものにしてください」と12~17節の中に記しています。「自分の日」とは、平均寿命から見て、あと何年かのことです。多くの人は死を考えないようにして生きています。17節の「手のわざ」とは、この人生で成して来た行ないのことです。「確かなものにしてください」は、私達が死んでも神様の前に価値あるものと認められる行いのことです。

★私達人間は、生まれながらにして神様と断絶した状態にあります。多くの人は、自分がどのような存在なのか、何をこの人生で成すべきなのか、どこに向かっているのかを見失ってしまっています。それは、7~9節にあるように「神の怒り」の中に生きている証拠なのです。

★ですから人間は、誰でも神様によって、神様の世界に生まれ直さなければなりません。それが新生と言われるものです。神様のもとを離れた人間の姿を、イエス様は「放蕩息子」の譬えによって教えられました。その人は父親の家を飛び出して、餓死寸前にまでなったのです。その時「はっと我に返り」父親のもとへ帰ろうと決断をしました。今日の詩篇にも「人の子らよ、帰れ」という神様の声があります。それは、あなたへの神様の呼び掛けなのです。あなたも神様のもとに帰り、新しい人となりましょう。

5月5日礼拝「神の約束は変わることがない」

詩篇講解NO89「神の約束は変わることがない」89篇25~41節

                        仁井田義政 牧師                              

 神様を定義する言葉にはいろいろありますが、聖書の神様を定義する言葉は「契約の神」です。ですから聖書は、旧約聖書と新約聖書と呼ばれるのです。

★今日の詩篇89篇では、約四百年前のダビデとの契約のことに触れられています。人間の約束は、数時間で変わることもあります。しかし、神様の約束は、何百年たっても変わらないと信じるのがイスラエルの信仰なのです。しかし現実には、永遠の約束のはずのダビデ王国は破れ、今や跡形もないので、詩人は神様が約束を破ったのではと嘆くのです。この詩は、「神様の約束」に対する嘆きの歌なのです。

★神様の約束は変わることがないのに、現実には変わったとしか見えない状態にありました。それは「あなたの先の恵みは、どこにあるのでしょうか」「ダビデに誓われたものです」(49節)という言葉に表わされています。神様は、ダビデの子孫が何をしても赦すとは約束していません。罪と不信仰には裁きがあるのです。ですから、神様をないがしろにし、偶像礼拝をしたり、武力に頼ったりした民を敗北させられたのです。

★ダビデとの約束は、ダビデから約千年後に、イエス様が来られたことによって成就しました。イスラエルの民も弟子達も「主よ、いよいよ今ですか」と期待しました。しかしイエス様は、ダビデの時のような王国を作ろうとされませんでした。

★しかし、イエス様こそ、神様とダビデとの約束の完成でした。福音書の最初のマタイ1章1節に「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図」と記されているのです。その契約の成就とは、キリストの十字架による救いという、人間の誰も思いつかない方法でした。そのことによって、神様はダビデに誓われた「あなたの子孫をとこしえに堅く立て、あなたの王座を世々限りなく建てる」との約束を実行されました。ですからキリスト誕生から二千年以上も経っている今日まで、その王国は広がり続けているのです。この神様の契約は、あなたの為の契約でもあります。あなたもイエス様を信じて、イエス様の王国の民となりましょう。