詩篇講解(NO.126)「涙と共に種をまく人」126篇1~6節
仁井田義政 牧師
この詩篇は非常に有名です。特に5-6節は、キリスト教界の大きな大会等でも朗読される聖句です。この詩の前半は、喜びと感謝に溢れています。後半は「涙」という言葉がありますが、希望にあふれています。
★イスラエルの民は、神様への不信仰の為に、バビロンの奴隷とされてしまいました。奴隷になると、そう簡単に自由人になれなかった時代です。王が代わり、政権が幾度代わろうと、奴隷は奴隷のままのことが多かったのです。しかし預言者エレミヤは、「バビロンの奴隷生活は70年間」と預言していました(エレミヤ25:11-12)。それを発見したのが、捕囚となって67年後頃、バビロンにいたダニエルです(ダニエル書9:2)。
★バビロンに移されて67年目の頃、人々は絶望していました。バビロンで生まれた人の中にも、67歳になる人がいたわけです。しかしエレミヤの言葉によって、もう間もなく奴隷生活が終わると知った民は、喜びに溢れました。しかし、どのように解放されるかは分かりません。それは不可能なことでした。しかし、ペルシャのクロス王がバビロンを滅ぼし、イスラエル人奴隷を解放したのです。しかも神殿を造るお金までも与えて、解放しました。
★しかし喜び勇んで帰って来た彼らの見たのは、荒廃したエルサレムとイスラエルの地でした。また破壊された神殿を再建しようとすれば、サマリヤ人から嫌がらせを受けました。この時を境に、イスラエル人はサマリヤ人と長い間反目し合うことになりました。神殿再建を中断して、まず生活を優先させるために農業をしようとすれば、70年見捨てられた農地は、荒れ果てていました。しかしどんなに辛くても、種を蒔いてこその収穫なのです。
★私達の人生や生活は、イスラエルのバビロン捕囚時のように、どうにもならないと思っていないでしょうか。そうならないように、預言者エレミヤは何度も警告していたのです(エレミヤ1:14)。しかし人々は、その警告を無視しました。神様の言葉を無視するところから、人生の苦しみが始まります。しかし御言によって、希望が湧いてくるのです。そのためには涙を流すほどの耕作と種まきが必要なのです。そうする者だけが、束を抱え喜びの時を迎えるのです。神様の御言を信じて、御言の種を蒔きましょう。