詩篇講解NO.113「身を低くされた神」113篇1~9節(待降節第二週)
仁井田義政 牧師
今日は、主の御降誕を待ち望む第2週です。来週の日曜日夕方5時からは、溝の口駅前のキラリデッキでクリスマスキャロルを行ないます。そして再来週の22日は、クリスマス合同礼拝と、クリスマス・ハンドベルコンサートが行なわれます。さらに24日夜には、クリスマスキャンドル礼拝が行なわれます。今日はアドベントメッセージとして、「身を低くされた神」という題でお話し致します。
★そのようなクリスマスシーズンにぴったりな御言です。なぜならば「主をほめたたえよ=ハレル」が3度も繰り返されて奨められているからです。3度は3回とは違います。それは「どこまでも」と言う意味です。イエス様が捕らえられた時、ペテロが「3度あの人を知らない」と言ったのは、徹底否定を意味していました。
★どこまでも主をほめたたえる理由は、偉大な神が「身を低くされた」からであると6節に記されています。それは、全歴史において君臨される神であると同時に、身を低くされる神だからです。ピリピ人への手紙2章6~11節には、神は「自分を無にして、人間と同じようになられ、自分を卑しくし(犯罪者として十字架刑に)十字架の死にまで」これが、身を低くされたキリストなのです。
★なぜ、「偉大な神が身を低く」されたのでしょうか。それは7節「弱い者を、ちりから起こし」とあります。「ちり」とは、最も小さな微粒子のことです。また「あくた」ともあります。「あくた」とは、直訳は「ゴミ」のことです。最も小さく、ゴミのような存在の私達を神の子とされたのです。
★最後に「子を産まない女」(9節)のことが記されています。イエス様は結婚されていませんから、当然子供はいません。しかしイエス様は、今や多くの霊的子供達に囲まれています。その霊的子供達が、キリスト誕生のお祝いの準備をしているのです。それがアドベントなのです。
★私達もハレルヤ!ハレルヤ!ハレルヤ!と、低きに下られた神の御子イエス様を賛美しましょう。アドベント週を、クリスマスに人々をお誘いする期間として、大切に過ごしましょう。
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