Monthly Archives: 9月 2023

9月17日礼拝「私達が祝福を受ける意味」

詩篇講解NO67「私達が祝福を受ける意味」67篇1節~7節  

                                  仁井田義政牧師                      

 この67篇はわずか7節からなる詩篇ですが、その内容は壮大です。それは、世界の国々や全ての民族が祝福されるという素晴らしいメッセージが記されているからです。しかしその世界の祝福は、まずあなたが祝福されることによって始まります。それでは、どのようにして世界は祝福されるのでしょうか。今日のメッセージは「私達が祝福を受ける意味」です。

★67篇は、収穫感謝祭に用いられた賛美であろうと言われています。この詩人は「祝福」という言葉を3回使って、物質的祝福を求めています。それでは、ご利益宗教になってしまうのではないでしょうか。自分の為にだけ物質的豊かさを求める宗教は、ご利益宗教です。

★この詩篇の偉大さは、2節に「それは、あなたの道が地の上に、あなたのみ救いが、全ての国々に知られるためです」と記されているところにあります。それは、個人が欲望のままに豊かさをむさぼる為の祈りではなく、世界宣教の為であることが分かります。ですから、その祈りに神様の「御顔を照り輝かせて下さるように」と、大胆に祈ることが出来ているのです。

★神様は、アブラハムに「あなたの子孫によって全世界を祝福する」(創世記22:18)と言われました。アブラハムからおおよそ二千年後に、アブラハムの子孫であるイエス様がお生まれになりました。イエス様の「あなたがたは行ってあらゆる国の人々を弟子としなさい」(マタイ28:19)と言われて、弟子達による世界宣教が開始されたのです。

★もはやどの国の人であるとか、どの民族であるとかは関係ありません。ローマ書10章12~13節にあるように「ユダヤ人とギリシア人の差別はありません。主の名を呼び求める者は、だれでも救われるのです。」という時代が来たのです。世界の人々の救いの為に、私達の経済が祝福され、神様がそれを用いて下さるようにと祈るのです。神様が、その祈りに御顔を照り輝かせて下さるようにと祈りましょう。それは神様が、満面の笑みで私達の物質的な祝福を求める祈りを聞いて下さるようにということです。私達は、祝福を信じて祈りましょう。

9月10日礼拝「火の中、水の中を通るとも」

詩篇講解NO66「火の中、水の中を通るとも」66篇8~20節  

                                仁井田義政牧師                      

 今日の詩篇は、神様への賛美の招きですが、大きく分けて二部構成になっています。第一部は、1~12節までの全世界の人々へ礼拝と賛美への招きです。第二部は、「私」という個人的な感謝の礼拝と賛美への招きです。

★第一部では、「私達」という言葉が11回出て来ます。第二部では、「私」という言葉に変わって12回出て来ます。それから見て、第一部は明かに全人類へ神様を賛美する招きであり、第二部は個人的な礼拝での神様への感謝と賛美です。旧約聖書は、あらゆる民族を礼拝に招いており、決して排他的ではありません。

★一部の5-6節の中に「さあ、神の御業を見よ」「海をかわいた地とした。人々は川の中を歩いて渡る」と記されています。その「海をかわいた地とされた」は、モーセによってイスラエルの民が紅海を渡った時の事であり「川の中を歩いて渡る」は、ヨシュアよってヨルダン川を渡った時の事です。そのように、イスラエルの歴史には多くの苦難がありました。しかし神様はその苦難によって「私達を練られました」(10節)と記されています。つまり苦難に遭ったことは、決してマイナスではなかったと言っているのです。

今日は敬老のお祝い会があります。その方々の長い人生の中には、苦難も多くあったことでしょう。まさに12節あるように「火の中、水の中」を通ったのです。しかしその苦難はマイナスなことではなく、純粋な信仰を持つための神様の訓練であったと考えるべきです。

★13節から「私」に変わります。詩人は、私が火の中、水の中を通った時に、神様に誓ったことを忘れず実行すると言っています。私も癌の手術で入院した時、病室で4篇の詩を書きました。それは、病気が癒された後にはこのようにしたいという誓いの詩です。私達は気をつけないと、苦しい時が去るとそのことを忘れてしまいやすいのです。しかし神様は、苦しい時に私達の口から出た言葉を忘れません。苦しみの中で私達を精錬し、純粋な信仰者としてくださっていたのです。

私達も公同の礼拝で神様を賛美し、また苦しい時に個人的に告白した誓いを実行しましょう。

9月5日礼拝「本当に幸福な人」

詩篇講解NO65「本当に幸福な人」詩篇65篇1~4節  

                           仁井田義政牧師                      

 最近お話ししました詩篇は、苦しみの中での祈りの詩篇でした。今日の詩篇は、一変して感謝と賛美の詩篇になっています。人間にとって何が一番幸せなことなのか、人間にとって何が一番感謝なことなのかを教えています。

★1節に「神よ、あなたの御前には静けさがあり」と記されています。どんなに私達の生活が忙しく、心がいら立っていても、神の家には私達の心を静める神の静寂があるのです。そこには神様の赦しと愛があるからです。神様は、その愛の中に私達を「選び引き寄せてくださった」のです。そこに私達の幸せがあるのです。

★私達を礼拝に引き寄せてくださった神様は、人間の教祖などではありません。世界の創造者なる神なのです。ですから神様は「地の果て果てに」(5節)にまで、礼拝者を起こされます。「朝と夕べの起こる所」(8節)、つまり朝には希望を、夜には感謝をもって生きる人を起こされます。

★神様は祝福するために「地を訪れ、水を注ぎ、これを豊かにされる」と、ダビデは記しています。人間はみな農業に依存しています。多くの人は直接農業をしているわけではありませんが、お金を払って農業をしてもらっているのです。神様は牧草地には「羊を衣のように、畑のある谷間は穀物の麦が黄色く衣のように覆っている」(13節)と記しています。それは、経済的な祝福を現わしています。それが、私達の信じ礼拝する神様なのです。

★この神様を礼拝できているということは、なんと幸いなことでしょう。しかも神様が引き寄せてくださったのです。「私達には咎と罪が圧倒していた」(3節)にもかかわらずです。なんという恵みと祝福に満ちたことでしょう。さらには、引き寄せてくださっただけではなく「神の家の大庭に住む」(4節)ようにして下さったのです。それは神様の家族にしてくださったということです。家族は良いですね。冷蔵庫にある物も何でも自由に食べることが出来ます。ですから4節の後半に「私達は、あなたの家、あなたの聖なる宮の良いもので満ち足りるでしょう」と言っているのです。それは、神様の全ての祝福に満たされるということです。万物の創造者、支配者であられる神様に引き寄せられ、神様の家族とされたことに感謝しましょう。また本物の神様の礼拝者とされたことに感謝し、その幸せを感謝しましょう。