9月10日礼拝「火の中、水の中を通るとも」

詩篇講解NO66「火の中、水の中を通るとも」66篇8~20節  

                                仁井田義政牧師                      

 今日の詩篇は、神様への賛美の招きですが、大きく分けて二部構成になっています。第一部は、1~12節までの全世界の人々へ礼拝と賛美への招きです。第二部は、「私」という個人的な感謝の礼拝と賛美への招きです。

★第一部では、「私達」という言葉が11回出て来ます。第二部では、「私」という言葉に変わって12回出て来ます。それから見て、第一部は明かに全人類へ神様を賛美する招きであり、第二部は個人的な礼拝での神様への感謝と賛美です。旧約聖書は、あらゆる民族を礼拝に招いており、決して排他的ではありません。

★一部の5-6節の中に「さあ、神の御業を見よ」「海をかわいた地とした。人々は川の中を歩いて渡る」と記されています。その「海をかわいた地とされた」は、モーセによってイスラエルの民が紅海を渡った時の事であり「川の中を歩いて渡る」は、ヨシュアよってヨルダン川を渡った時の事です。そのように、イスラエルの歴史には多くの苦難がありました。しかし神様はその苦難によって「私達を練られました」(10節)と記されています。つまり苦難に遭ったことは、決してマイナスではなかったと言っているのです。

今日は敬老のお祝い会があります。その方々の長い人生の中には、苦難も多くあったことでしょう。まさに12節あるように「火の中、水の中」を通ったのです。しかしその苦難はマイナスなことではなく、純粋な信仰を持つための神様の訓練であったと考えるべきです。

★13節から「私」に変わります。詩人は、私が火の中、水の中を通った時に、神様に誓ったことを忘れず実行すると言っています。私も癌の手術で入院した時、病室で4篇の詩を書きました。それは、病気が癒された後にはこのようにしたいという誓いの詩です。私達は気をつけないと、苦しい時が去るとそのことを忘れてしまいやすいのです。しかし神様は、苦しい時に私達の口から出た言葉を忘れません。苦しみの中で私達を精錬し、純粋な信仰者としてくださっていたのです。

私達も公同の礼拝で神様を賛美し、また苦しい時に個人的に告白した誓いを実行しましょう。

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