(待降節メッセージ2)「貧しき者の救い主」

(待降節メッセージ2)「貧しき者の救い主」詩篇76篇1~12節

                        仁井田義政 牧師

 今日のアサフの詩篇にも、戦いのことが記されています。いつの時代の戦いかは特定できません。紀元前二千年のアブラハム時代のシャレムというエルサレムの名が出てくるかと思えば、それから約千年後のダビデ時代頃まで使われたシオンというエルサレムの名が出てきます。この詩は、愚かな人間歴史の中で、神様の存在とその働きのことを記しています。

★4節の「あなた」とは、神様のことです。そして「山々」とあるのは、神様に敵対する者達のことです。多くの人々が神様に敵対して取り囲んでいるのです。しかし、詩人は「あなたは輝かしく・・まさって威厳がある」と言っています。つまり神様に敵対する者がどんなに多くても、神様には問題ありません。それは5節にあるように、神様が怒るとどんなに「剛胆な者も、眠りこける。勇士たちも手の施しようがない」からです。

★それでは、神様は何のために戦っておられるのでしょう。それは「貧しい者たちを救うため」です。人間の横暴と罪との戦いです。今日のアドベントにこの詩篇を読んだのは、この9節の御言にあります。アブラハム時代の大昔から現代の戦いまで、人間の愚かな戦争が後を絶ちません。しかし神様は、その愚かな人間歴史の中で、霊的な戦いをし続けておられるのです。

★12節には、神様が「貧しい者たちを救う」ために立ち上がられると、「地の王達は恐れる」と記されています。その神様が、人間歴史に究極的な戦いをキリストの誕生によって開始されました。その時にイスラエルの王であったヘロデ大王は、恐れに満たされました。神様の御子が誕生されたことを知ったからです。そのことはマタイ2章3節に記されています。

★ヘロデ大王もローマ帝国も、キリストを殺したと思いました。しかし殺せませんでした。今なおキリストは生きておられます。イエス様は「貧しいものを救うため」(9節)にこの世に突撃して来てくださいました。しかもたった一人の兵隊も伴わず、無防備な馬小屋に貧しき者の赤ちゃんとして生まれて来てくださったのです。イエス様の武器は「貧しき者を救う」という神の強い愛でした。貧しいとは、経済的な貧しさだけを意味しません。あなたのどんな貧しさからも、あなたを救うために来られたのです。あなたの為に来られたイエス様を、今日、救い主としてお迎え致しましょう。

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