詩篇講解NO132「彼の冠が光り輝く」132篇13~18節
仁井田義政牧師
この詩篇は、キリストの誕生と深い関わりがあります。しかもダビデの子孫としてやがて生まれられるメシヤが、ダビデ王に優る究極的な王であることが預言されています。
★1節に「ダビデの苦しみを思い出してください」との、とりなしの祈りがあります。この祈りが、いつ誰によってされたのかは分かりません。そのダビデの苦労とは、ペリシテ軍に奪われていた「契約の箱」を、エルサレムに戻す苦労のことかもしれません。もう一つは、ダビデは軍人で「多くの人の血を流したので」神殿を建てることを禁じられたことかもしれません。ダビデは神殿の為に蓄財をするだけで、その子ソロモンが神殿を建てたのです。
★この詩が書かれたのは、バビロン捕囚後と思われます。神の箱も、586年バビロン軍のエルサレム神殿破壊で失っています。そして未だに失われているのです。捕囚期間後、建てられた第二神殿。それに異邦人ヘロデ大王によってされた大改築工事。イエス様と弟子達が見たのは、その増築された神殿でした。しかし主の十字架後の37年後に、その神殿もローマ軍に破壊されてしまいました。紀元70年のことです。
★しかし、17節には「ダビデの為にひとつの角を生えさせよう」と預言されています。神様が約束されたダビデの子孫による王国復活の預言です。「油注がれた者=メシヤ」(17節)によって、神様の約束は実行されるのです。このメシヤには「角」という巨大な支配権と、「ともしび」なる人の希望が溢れているのです。バプテスマのヨハネの父ザカリヤも、聖霊に満たされて語った預言の言葉に「救いの角」と出てきます。(ルカ1:69参照)
★イエス様こそ、預言された「メシヤ」であり救い主なのです。イエス様が来られた時、人々はイエス様を救い主とは認め、お前が王様なら冠が必要だろうと言って、いばらを編んだ冠をイエス様の頭に押し付けました。冠の棘が、イエス様の皮膚を突き破って血が流れました。それは屈辱の冠でした。人間がどんなにイエス様を侮蔑し嘲笑しても「彼の冠は光り輝く」のです。
★あなたも、いばらの冠をイエス様に押し込み続けますか。イエス様はあなたの救い主です。イエス様を信じてクリスチャンとなる決心をしましょう。