Monthly Archives: 5月 2025

5月25日礼拝「彼の冠が光り輝く」

詩篇講解NO132「彼の冠が光り輝く」132篇13~18節

                         仁井田義政牧師

この詩篇は、キリストの誕生と深い関わりがあります。しかもダビデの子孫としてやがて生まれられるメシヤが、ダビデ王に優る究極的な王であることが預言されています。

★1節に「ダビデの苦しみを思い出してください」との、とりなしの祈りがあります。この祈りが、いつ誰によってされたのかは分かりません。そのダビデの苦労とは、ペリシテ軍に奪われていた「契約の箱」を、エルサレムに戻す苦労のことかもしれません。もう一つは、ダビデは軍人で「多くの人の血を流したので」神殿を建てることを禁じられたことかもしれません。ダビデは神殿の為に蓄財をするだけで、その子ソロモンが神殿を建てたのです。

★この詩が書かれたのは、バビロン捕囚後と思われます。神の箱も、586年バビロン軍のエルサレム神殿破壊で失っています。そして未だに失われているのです。捕囚期間後、建てられた第二神殿。それに異邦人ヘロデ大王によってされた大改築工事。イエス様と弟子達が見たのは、その増築された神殿でした。しかし主の十字架後の37年後に、その神殿もローマ軍に破壊されてしまいました。紀元70年のことです。

★しかし、17節には「ダビデの為にひとつの角を生えさせよう」と預言されています。神様が約束されたダビデの子孫による王国復活の預言です。「油注がれた者=メシヤ」(17節)によって、神様の約束は実行されるのです。このメシヤには「角」という巨大な支配権と、「ともしび」なる人の希望が溢れているのです。バプテスマのヨハネの父ザカリヤも、聖霊に満たされて語った預言の言葉に「救いの角」と出てきます。(ルカ1:69参照)

★イエス様こそ、預言された「メシヤ」であり救い主なのです。イエス様が来られた時、人々はイエス様を救い主とは認め、お前が王様なら冠が必要だろうと言って、いばらを編んだ冠をイエス様の頭に押し付けました。冠の棘が、イエス様の皮膚を突き破って血が流れました。それは屈辱の冠でした。人間がどんなにイエス様を侮蔑し嘲笑しても「彼の冠は光り輝く」のです。

★あなたも、いばらの冠をイエス様に押し込み続けますか。イエス様はあなたの救い主です。イエス様を信じてクリスチャンとなる決心をしましょう。

5月18日礼拝「信頼する者に与えられる平安」

詩篇講解NO131「信頼する者に与えられる平安」131篇1~3節

                         仁井田義政牧師

 今日の詩篇は、ダビデの短い詩です。短いながらも、その内容は重要さに満ちています。現代は科学が発展し、ウェッブ宇宙望遠鏡によって、地球から約46億光年の距離にある銀河団まで、見ることができるようになりました。また物質の最小単位と考えられている素粒子の存在やその活動まで、知ることが出来るようになりました。しかし私達人間は、ストレスや不安を解決できないばかりか、増大しているのです。

★ダビデは、私達の不安は誇りと高ぶりから来ると言っています。誇りと高ぶりが、なぜ不安を生むのでしょうか。それは、いつも自分が人より優れていないと平安がないからです。マタイ2章2~3節には、イエス様がお生まれになった時、ヘロデ大王が不安になったことが記されています。また旧約聖書第一サムエル記18章6~9節には、少年ダビデがゴリアテに勝利した時、サウル王が不安になり、嫉妬し、被害妄想を起こしたと記されています。

★ダビデは、平安を得る秘訣を「及びもつかないことや、奇しいことに深入りしないこと」と教えています。それはどのようなことを言っているのでしょうか。例えば創世記には「世界の無から有の創造」のことが記されています。どのように、無から有が生まれるのでしょうか。それは奇跡的なことなので、人間には説明できないのです。ですから「神が天と地を創造された」と記されているのです。それを理論的に説明できないと信仰を持つことは出来ないと言うなら、一生涯信仰を持つことなど出来ません。

★ダビデは「私は自分の魂をやわらげ、静めました」と言っています。そしてその後に「乳離れした子が母親の前にいるように」と言っています。赤ちゃんも乳離れすると、あまり泣かなくなります。お母さんがそばにいてくれれば、安心なのです。泣いても、お母さんが抱っこすれば泣き止むのです。母親も、子供と一緒にいれば平安で幸せになります。神様を信頼する者が、神様がそばにいてくださるだけで平安になるのと同じです。

今日の詩篇は、ストレスと不安の解決は主に信頼することだと教えています。イエス様を信じて、ストレスや不安から救われましょう。

5月11日礼拝「人生のブラックホール」

詩篇講解NO130「人生のブラックホール」130篇1~8節

                         仁井田義政牧師

 詩篇130篇は、深く苦悩する者の祈りです。それだけに、私達の心に響いてくる祈りなのです。今日のメッセージには「人生のブラックホール」という題を付けましたが、宇宙にあるブラックホールは、光までも飲み尽くし、出てこられない宇宙の穴のことです。私達の人生では、そのような混沌、カオスを体験することがあります。病気、人間関係、経済的なこと等々、多くの苦悩があるでしょう。詩人は、そのような「深い淵」から、主に祈っているのです。

★詩人は、自分に「深い淵」をもたらしたのは、自分の罪のゆえであることを自覚しています。そのために「深き淵」に落ちてしまい、もがいても足がかりがなく、爪を立てても登れない状態なのです。神様がその罪と失敗に目を留められるならば救いは無いが、神様には赦しがあると祈っています。

★四方八方ふさがりで絶望的な状況でも、最後の望みがあります。それは、神様に助けを求めることでした。詩人は、この世のあらゆるものに頼ることが出来なくなった悩みのブラックホールからの救出を祈っています。それは天地万物の創造者なる神様への祈りです。この短い詩に「主を待つ」と言う言葉が5回も出て来ます。神様の救いを待つ祈りなのです。

★神様はなぜ、こんなに優しいお方なのでしょうか。それは、神様が人となってこの世に来て下さったからです。それはイエス様のことです。イエス様こそ、深い淵が渦巻き苦しみが渦巻くブラックホールを体験されたのです。

ですから「主は、ご自身が苦しまれたので、苦しんでいる人を助けることができる」(へブル2:18)と記されています。

★この詩は個人の苦しみの祈りで始まっていますが、終わりには「イスラエルよ、主を待て」と、不特定多数の祈りとなっています。まさに「苦みの中にある日本人よ、主を待て」「苦みの中にある地上の全ての人々よ、主を待て」と呼び掛けていると考えて良いでしょう。なぜなら私達の神様は、世界の救い主だからです。7~8節にあるように「主の恵み深さ」を信じるのです。「豊かな贖い」を信じるのです。「贖い」とは、救いのことです。

あなたも「深い淵」「心のブラックホール」から救われましょう。

5月4日礼拝「悪者の綱は断ち切られた」

詩篇講解NO129「悪者の綱は断ち切られた」129篇1~8節

                         仁井田義政牧師

この詩篇は、あまり取り上げられることが少ない詩篇です。私も詩篇の連続講解メッセージでなければ、取り上げなかったかもしれません。しかしこの詩篇には、この詩篇でなければならない素晴らしい神様の言葉に満ちているのです。

★この詩は巡礼の歌であり、礼拝で歌われたイスラエルの歴史の歌です。この詩にある「若いころから」という言葉は、イスラエルが国の形態がなかった時からと考えられます。イスラエルが国として成立するのは、出エジプト記の十戒の賦与の時からです。それは「法律なければ国はなし」だからです。

★1節と2節に「私を苦しめた」と言う言葉が、二度繰り返されています。それを「イスラエルは言え」と記されています。それは民族の体験として、その苦しみの過去を振り返り忘れないことです。そして「彼らは私に勝てなかった」と言っています。それは「主は正しく」あるからです。巡礼者は、礼拝でこの勝利者として高らかに歌っているのです。

★「シオンを憎む者」とは、真の神を礼拝する者を憎む者のことです。そのような敵は「屋根の上の草」のようで、直ぐ枯れると記されています。屋根の上の草は、実を結ぶことがありません。そのような草を束にし、収穫しようとはしないのです。この詩のキーワードは、4節の「主は正しくあられ、悪者の綱を断ち切られた」という言葉にあります。

★私達にも、イスラエルのように忌まわしい過去の体験があるのではないでしょうか。「あの事が私を苦しめた。あの事が私の現在まで影響を与えている」等ということです。家族との死別。両親の離婚。しつけの厳しすぎ。しつけの甘すぎ。学校でのいじめ。肉体的な病気。精神的な病気。その他にもいろいろな事があるでしょう。

★今も、あなたを縛り付け生きる力を失わせていることはないでしょうか。129篇の詩人は、それを自分史にして「悪者の綱を断ち切られた」と賛美しているのです。イエス様は、私達の過去一切の悪の網目を断ち切るために、来て下さったのです。そのことを信じて、新しく生き始めましょう。