詩篇講解NO.111「心を尽くし主に感謝」111篇1~10節
仁井田義政 牧師
この詩の背景は、イスラエルの民が奴隷の地であったエジプトから脱出した歴史が土台となっています。聖書は、この功績を決して人間モーセに与えてはいません。
★その功績は、モーセにではなく主なる神にあると宣言し、「直ぐな人の集いで賛美せよ」と命じています。2節には「その御業は偉大で」と記し、5節には「主を恐れる者に食べ物を与えた」と、荒野での生活を記しています。1日や2日ではなく、40年間もそうされたのです。さらに「その契約をとこしえに覚えておられる」と記しています。それは、モーセから500年位経った詩人の時代にも変わらないとの感謝なのです。
★神様は愛に満ちた御方ですが、不信仰や罪に対しては決して赦すことのない聖なる義に満ちておられます。そのことは3節に「その御業は尊厳と威光。その義は永遠に堅く立つ」と記されている通りです。それなのにイスラエルの民は、荒野で40年間も不信仰に満ちに生活だったのに、約束の地を与えられたのでしょうか。それは「主が、御民に贖いを送られた」(9節)からに他なりません。
★10節には「主を恐れることは、知恵の初め」と記されています。箴言1章7節でも「主を恐れることは知識の初めである」と記されています。「主を恐れる」とは、主の厳しさと同時に、主の愛と恵みを知ることです。そしてその主の御前で自分を知ることなのです。主の御前で自分を知るとは、自分には正しさや聖さは何一つないということを知ることです。
★ルカの福音書18章9~14節で、イエス様は「このような譬えを話された」と記されています。それは「私は罪ひとつない正しい人間だ」というパリサイ人と、「神様、こんな罪人の私を憐れんで下さい」と祈った取税人の話です。イエス様は「神様に義と認められたのは取税人の方です」と、はっきり言われました。神様は詩篇111篇9節で「主は、御民に贖いを送り」と記されています。クリスマスは、そのお方をお迎えして喜びが爆発する教会最大のイベントです。ですから今日も「心を尽くして、主に感謝」しつつ、喜びにあふれてクリスマスの飾り付けをしましょう。