Monthly Archives: 11月 2025

11月30日待降礼拝1「異教の地にある人達には星の光を」

(待降節1)マタイ講解NO3「異教の地にある人達には星の光を」2章1~10節

                        仁井田義政 牧師

 世界の教会は、今日からクリスマス前の待降節(アドベント)に入ります。私達の教会はイルミネーションが飾り付けられます。それは今日の聖書記事のように、キリストが誕生されたことを世の人々に伝えるために飾るものです。聖書を知らない異教社会に住んでいた博士達(マギー)を、星の光がキリスト誕生の地ベツレヘムに導きました。

★実は、博士達は星占い師でした。二千年前も異教の地では、占いがとても盛んでした。日本においては今なお占いが盛んです。マギーを博士達と訳してあるのは、その道において精通し成功した人達として、表わそうとしたからかもしれません。しかし、異郷の地で成功し地位や名誉や富を得ても、西に輝く星の下に生まれた御方を求めて、長い旅をして来たのです。

★博士達は、どれくらいの日数を旅して来たのでしょうか。二年という説が有力です。それは星の輝いた時から二年です。イエス様は、この時すでに馬小屋から「家」(11節)に移り、二歳くらいになっていたと思われます。彼らは、星の導きによってエルサレムまで来ることができました。しかし、それだけではキリストに会うことはできませんでした。キリスト誕生の地がベツレヘムであることを、聖書から初めて知ったのです。それは今も同じです。

★キリスト誕生を博士達から聞いて、ヘロデ大王は恐れました。ヘロデ大王は、自分の王位を狙っているという疑いで、妻子も殺している残酷な人でした。ですから博士達が「ユダヤにお生まれになられた王を拝みに来ました」と言った時、ヘロデ大王は恐れたのです。しかし博士達は「この上もなく喜んだ」(9節)のでした。「この上もなく」とは、最高の喜びです。

★異教の地に於いて、博士達をキリストに導いたのは、夜空に輝いた大きな星の光でした。私達も異教の地に住んでいます。星の光が異教徒の博士達をキリストに導いたように、私達も教会にクリスマスイルミネーションを飾り、キリストのご降誕を知らせましょう。できるだけ綺麗に飾り付けましょう。異教の地にある人達には、星の光がキリストにお会いするきっかけともなるのです。

11月23日礼拝「恐れないで」

マタイ講解NO2「恐れないで」1章18~25節

                        仁井田義政 牧師

その時、マリヤは13歳の頃でヨセフは18歳の頃でした。若い二人は、いいなづけであり、結婚を控えてどんなに希望に溢れていたことでしょう。しかしその二人が、突然「恐れ」(1章20節)に包まれたのです。

★マリヤとヨセフを襲った恐れとは何でしょう。それは二人にとって身に覚えのない子がマリヤに宿ってしまったことです。マリヤが「この子は神の聖霊によって身ごもったのです」といくら説明しても、ヨセフが納得するはずがありません。そのような女性は夫に不貞の罪で訴えられ、処刑されることもありました。ヨセフはどうすれば良いかと思い悩みました。そうして出した結論は、マリヤと離縁し遠くに逃がすことでした。

★しかし御使いは、ヨセフの夢の中に現れて別の方法を示しました。マリヤが身ごもった男の子は「聖霊」によるということで、しかもその子の名前を「イエスとつけなさい」との指示でした。その名前は「主は救い」という意味です。さらには「この方こそ、ご自分の民を罪から救ってくださる方です。だから恐れないでマリヤを妻として迎えなさい」と言われたのです。

★御使いはさらに、この事はイザヤが預言したことの成就であると言われました。その預言には「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」(イザヤ7:14)と記されていました。それは「神は私達と共におられる」という意味でした。そのことによって、ヨセフはマリヤを妻として迎えました。ヨセフから恐れは消え去り、マリヤとその子を命がけで守ることを決意したのです。

★このようにヨセフとマリヤにとって、結婚前に描いていた二人の幸せの計画通りにはなりませんでした。その時に二人は、「恐れ」に包まれてしまったのです。

私達の人生にも、思い通りにならないで恐れに包まれてしまうことはいくらでもあります。あなたは今、どんなことに悩んだり恐れたりしていますか。あなたも、ヨセフやマリヤのようにイエス様をお迎えして、あらゆる恐れや心配ごとから救って頂きましょう。

2025年11月16日礼拝「過去に何があっても」

マタイ講解NO1「過去に何があっても」1章1~17節

                      仁井田義政 牧師

先週で3年8カ月にわたった旧約聖書の詩篇からのメッセージが終わり、今日から新約聖書のマタイによる福音書から話していきます。福音書は、イエス様の御生涯にスポットを当てて書かれていますので、教会に来られたばかりの人にもわかりやすいところだと思います。このマタイによる福音書を通して、キリストの偉大な生涯を知って頂きたいと思います。第一回目は、キリストの系図から「過去に何があっても」という題で、聖書の喜ばしいメッセージをお伝えいたします。

★「福音書はイエス様にスポットを当てて書かれているので分かりやすい」と言いましたが、どうも私達には分かりにくい系図から開始しているのです。しかしこの系図は、ユダヤ人にとっては大切で分かりやすい部分なのです。キリストは「アブラハム」「ダビデ」の子孫であると記されていますが、それは神様の約束「契約」の成就のことでした。

★この系図の中には、タマル、ラハブ、ルツ、ウリヤの妻(バテ・シェバ)という女性達の名が記されています。タマルとバテシェバは道徳的に問題がある女性でした。そしてラハブとルツは、外国人というユダヤ人は自分の家系図に入れたくない人たちでした。罪ある女性や外国人がキリストの系図に入れられているのは、誰でも神の家族になれることを表わしています。

★さらにこの系図は、男性の系図から突然、女性マリヤに系図が変わっています。マリヤもアブラハムの子孫、ダビデの子孫であることはわかっています。しかしその夫ヨセフの男性系図から、突如マリヤとい女性系図に変わっています。しかもマリヤもヨセフもダビデ王家の子孫とはいえ、既に昔にダビデ王家は衰退してしまっているのです。

★キリストの系図には、実は大きなメッセージが記されています。一つは、神様の前に男女の差別はないということです。第二は、私達の家系にどんな犯罪者やその血筋の者がいたとしても、神様の私たちに対する祝福はには関係がないということです。福音書とは「良い知らせの書」という意味です。あなたもこの福音を信じて、過去に支配されない人生を歩き出しましょう。

11月9日礼拝「最高峰の賛美とは」

詩篇講解NO150 「最高峰の賛美とは」150篇1~6節

                         仁井田義政牧師

 今日は詩篇の最後、150篇からのメッセージです。2022年2月27日から開始された詩篇からのメッセージは、3年8カ月続きました。ついに最後の詩篇になりました。その内容も、詩篇全体の結論となっています。

★詩篇全体の結論であるこの詩篇は、まずどこで神様をほめたたえるかを記しています。それは神の聖所です。聖所は、神様を礼拝する場所のことで、現代で言えば教会のことです。そして「大空で」とも記されています。それは、宇宙万物の創造者としての偉大な神を賛美せよということです。そして「タンバリン、立て琴、踊りをもって賛美せよ」と勧められています。

★なぜ、そのように神様を賛美する必要があるのでしょうか。それは、2節に記されています。「大能の御業のゆえ」です。「大」とは優れていることを現し「能」とは能力を現します。神様が私たちにしてくださった最大のことは、イエス様の十字架の実行です。十字架こそが神様の英知でした。それによって救われた私達が、神様を心からほめたたえることができるのです。

★最後に「息のある全てのものは主をほめたたえよ。」とあります。「ほめたたえよ」とは賛美のことです。私たちは感謝することと、ほめたたえることは同じように思ってしまいますが、その意味は大きく違います。「感謝」には自分のことが含まれており、「ほめたたえる」という言葉には自分が入っていなのです。

★詩篇中の感謝は、ヘブル語の「トーダー。ヤーダ」で40回近く出てきます。しかし「主をほめよ」のヘブル語「ハレル・ハレルヤ」は、80回以上出てきます。そして今日の御言には「息のあるものはみな主をほめたたえよ」と記されているのです。賛美の最高峰は自分を忘れることです。自分の全ての問題も悩みも忘れて、神様の大能と偉大さのゆえに、神様を賛美することが、私達の行える最高峰の賛美なのです。

★詩篇は賛美のために書かれました。私達はそれを3年8カ月以上も聞いて来ました。その詩篇を終えるにあたって、詩篇の最終目的として書かれた最高峰の賛美を主に捧げて、詩篇の学びを終わりましょう。