Monthly Archives: 8月 2025

8月31日「絶望の中での希望」

詩篇講解NO143「絶望の中での希望」143篇1~6節

                        仁井田義政牧師

 この詩篇には「ダビデの賛歌」という表題がついていますが、70人訳ギリシャ語聖書には「息子が彼を追跡したとき」という副題がついています。それに従えば、自分の息子アブシャロムに王位を狙われ、命を狙われた時に書かれた詩であることがわかります。この詩は、彼が「絶望の中で希望」を見出したことを記しています。それは、どのような希望なのでしょうか。

★ダビデの生涯の中で最大の罪は、家来のウリヤの妻バテシェバを奪ったことでした。しかも自分では直接手を下さず、ウリヤを激戦地に遣わして戦死させたのです。バデシェバは夫のいない寡婦となり、ダビデ王の妻にしたのです。それは、神様の前でダビデの最大の罪でした。神様はその罪を預言者ナタンによって指摘させました。その時、ダビデは悔い改めました。

★やがてダビデ家の子供達に、王位継承をめぐっていざこざが始まりました。長男のアムノンはアブシャロムに殺害され、アブシャロムは次の王は自分だと思っていました。しかし父親のダビデは、彼はふさわしくないと思っていたのです。その為にダビデは三男のアプシャロムに命を狙われました。この詩は、その時の詩だろうと言われています。

★ダビデは、この事を自分の罪の結果であると思っていました。それは自業自得で神様に助けを求めて祈る資格がないと思っていたようです。それがダビデの絶望でした。しかし、ダビデは神様に「しもべを裁きにかけないでください。生ける者に義人はひとりもいません」と神様に詰め寄りました。この言葉は、使徒パウロがローマ書3章10節で引用しています。

★私達も、自分の至らなさのゆえに落ち込むことや、悩み苦しむことがあるでしょう。自業自得ゆえの悩みです。しかしダビデは自分の正しさにではなく、神様の正しさに「神の義」に希望をつないだのです。神様が「私が許すと言って下されは、どんな罪人でも許されます」という祈りです。またそれは「あなたの名のゆえに」(11節)という言葉でも表わされる祈りです。それは、絶望の中からの希望を引き寄せる祈りです。

私達もたとえ絶望的な中にあっても、神の義と神の名によって、希望と救いを得ましょう。

8月24日礼拝「八方ふさがりの時の祈り」

詩篇講解NO142「八方ふさがりの時の祈り」142篇1~7節

                        仁井田義政牧師

この詩は、表題には「ダビデのマスキール。彼が洞穴にいた時に。祈り」とあります。ダビデはサウル王に追われて洞穴に身を隠しました。そこでは、漆黒の闇に身を隠す以外に一本のろうそくさえも灯すことが出来ないのです。光を灯すならば直ぐに敵に見つかってしまうでしょう。まさにどん詰まりの暗い体験でした。どこにも抜け道の見出せない暗黒の体験でした。

★そのような洞窟でダビデがしたことは、洞窟の岩をも通過する神様への祈りでした。ダビデの命を取ろうとして、追ってきたサウル王とその最強軍に対して、ダビデは暗闇に身を隠しているしかないのです。しかしダビデは洞窟で震えているだけの人ではありませんでした。ダビデの心は、厚い岩山を通過して、天におられる神様に向いていたのです。

★ダビデは、しっかりと「主に向かって」(1節)祈り始めました。その祈りは「神様に、声をあげて叫ぶ祈り」でした。その祈りは「神様に嘆きを注ぎ出す」祈りでした。その祈りは「自分の苦しみを言い現す」祈りでした。

★ダビデは、神様を信じていることが、この地上での最高の財産であると祈っています。ダビデは「自分が苦しみから逃れられればそれで良い」との祈りをしませんでした。ダビデは「私があなたの御名に感謝するようにしてください」と祈ったのです。私の救われた体験で「人々が私の回りに集まるでしょう」と、神様への礼拝が始まることを予想して、祈っているのです。

★私達もダビデと同じように「抜け道も見つけられず、真っ暗な洞窟に閉じ込められてしまったような体験をするかもしれません。孤独と絶望に震えうずくまって、一歩も動けないような体験をするかもしれません。たとえそのような八方ふさがりの暗闇の中にあっても、ダビデのように神様に信仰の目を向けましょう。神様は、その祈る人に目を注いで助け出されるのです。助け出された後はどうするのでしょうか。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」人になってはなりません。神様を礼拝し賛美する人になりましょう。誰が何と言おうと、神様を信じる人になりましょう。

8月10日礼拝「悪の世にあっても」

詩篇講解NO140「悪の世にあっても」140篇1~13節

                         仁井田義政牧師

 この世は、なんと悪に満ちていることでしょうか。私のところにも、毎日何十通もの詐欺メールが届きます。詐欺の電話もかかってきます。マタイ24章3~13節には、イエス様は「世の終わりには悪がはびこる」と言っておられます。このイエス様の言葉は、マルコ・ルカの福音書にも出てきます。私達は悪が増大している現代において、どのように生きるべきかを今日の詩篇140篇から学びましょう。

★ダビデの周りには、悪い人達が沢山いました。私達の周りにいる悪い人達とは、比べられない程です。ダビデは、7~8年もサウル王に命を狙われ続けました。またダビデには、ペリシテ人をはじめ多くの敵がいました。さらには、自分の息子アブシャロムにまで、王位と命を狙われたのです。

★私達の生活の場にも、悪意に満ちた人々はいます。ダビデの周りにも、蝮(まむし)の毒のような舌をもっている人々がいました。蝮の毒は死をもたらすのです。ダビデはそのような時神様に祈り、守って頂くことを選択しました。そして悪者が地上に栄えないように祈りました。

★ダビデは、神様が悩む者や貧しい者の為に、正しい裁きを行われる方と知っていました。悩む者や貧しい者とは、自分で仕返しのできない人達のことです。神様は、そのような弱い立場の人の祈りこそ、フォーカスして聞いてくださるのです。ですから、悪人に立ち向かう最高の方法は、神様に祈ることだと知りましょう。

★世界では、リバイバル(キリスト教の驚異的拡大)が起こっています。そのリバイバルが著しい所は、アフリカです。アルジェリアは、イスラム教の強い所です。しかしそこでキリスト教が爆発的に成長していると報告されています。アジアのイスラム圏のインドネシアでも、リバイバルが起こっています。リバイバルが起こった町や地域では、犯罪の低下も見られています。

あなたも、世の悪を感じたら、祈りを聞いて下さる主に祈り、主の正しい裁きを待ちましょう。

8月3日礼拝「闇さえも暗くはなく」

詩篇講解NO139「闇さえも暗くはなく139 篇1~12節2025年8月3日

                         仁井田義政牧師

 今日の139篇は、神様の御業の壮大さを記している詩です。その壮大さは宇宙というマクロの世界からミクロの世界まで、神様は知っておられるということです。神様の全知、全能、遍在、救済のことについてまで記されています。12節に「あなたにとっては闇も暗くはなく」という言葉があります。

★神様の全知性とは、全ての事を知っておられるということです。私達は、自分のことすら一部分しか知りません。しかしダビデは「神様は私の全てを知っておられ、言葉が口から出てくる前の、脳で考え言語に作り始めた時から知っておられる」というのです。

★神様の遍在性とは、神様は何処にでもおられるということです。私達は悩みの時に「神様は一体どこにおられるのか」と言ったりします。しかし神様は、どこにでもおられるのです。神様にとっては「闇も暗くはない」と記されています。私達が悩みの暗闇に捕えられ、人生の先が見えず悩む時にも、神様はあなたと共におられます。それゆえに希望があるのです。

★神様は宇宙を無から生じさせ、人間は、母の胎の中の一個の細胞から60兆個の細胞になり、その細胞ひとつには30数億の遺伝子情報が組み込まれています。それが私達のゲノムで、私達の設計図なのです。そのような神様の全能性によって、私達は造られ存在しているのです。

★神様の奇跡的な御業によって、私達は存在しているのに、神様を信じないで悪く言う人もいます。彼らは「みだりに御名を口にします」とは、神様を馬鹿にして、あざ笑うことです。ダビデも、そのような言葉に心が傷つくことがありました。そのような傷が私の内にあるならば、癒して真っ直ぐな道に戻してくださいと祈っています。

★神様は「全知・全能・遍在」です。その御方が、私達の信じる聖書の神様です。神様は、私達のことを私達が知らない領域まで知っておられ、私達を助け、守り、救って下さるのです。私達を愛し、私達を思いやり、私達の知らない領域の問題の原因まで知っておられます。その主を心から信じましょう。