詩篇講解NO143「絶望の中での希望」143篇1~6節
仁井田義政牧師
この詩篇には「ダビデの賛歌」という表題がついていますが、70人訳ギリシャ語聖書には「息子が彼を追跡したとき」という副題がついています。それに従えば、自分の息子アブシャロムに王位を狙われ、命を狙われた時に書かれた詩であることがわかります。この詩は、彼が「絶望の中で希望」を見出したことを記しています。それは、どのような希望なのでしょうか。
★ダビデの生涯の中で最大の罪は、家来のウリヤの妻バテシェバを奪ったことでした。しかも自分では直接手を下さず、ウリヤを激戦地に遣わして戦死させたのです。バデシェバは夫のいない寡婦となり、ダビデ王の妻にしたのです。それは、神様の前でダビデの最大の罪でした。神様はその罪を預言者ナタンによって指摘させました。その時、ダビデは悔い改めました。
★やがてダビデ家の子供達に、王位継承をめぐっていざこざが始まりました。長男のアムノンはアブシャロムに殺害され、アブシャロムは次の王は自分だと思っていました。しかし父親のダビデは、彼はふさわしくないと思っていたのです。その為にダビデは三男のアプシャロムに命を狙われました。この詩は、その時の詩だろうと言われています。
★ダビデは、この事を自分の罪の結果であると思っていました。それは自業自得で神様に助けを求めて祈る資格がないと思っていたようです。それがダビデの絶望でした。しかし、ダビデは神様に「しもべを裁きにかけないでください。生ける者に義人はひとりもいません」と神様に詰め寄りました。この言葉は、使徒パウロがローマ書3章10節で引用しています。
★私達も、自分の至らなさのゆえに落ち込むことや、悩み苦しむことがあるでしょう。自業自得ゆえの悩みです。しかしダビデは自分の正しさにではなく、神様の正しさに「神の義」に希望をつないだのです。神様が「私が許すと言って下されは、どんな罪人でも許されます」という祈りです。またそれは「あなたの名のゆえに」(11節)という言葉でも表わされる祈りです。それは、絶望の中からの希望を引き寄せる祈りです。
私達もたとえ絶望的な中にあっても、神の義と神の名によって、希望と救いを得ましょう。