Monthly Archives: 7月 2025

7月13日礼拝「バビロンでの嘆きの詩」    

                         仁井田義政牧師

 今日の詩篇は、非常に感情的な詩です。現実の戦争は、残虐であり、激しい感情がぶつかり合い、憎しみの火花が散る地獄です。イスラエルの南王国ユダは、紀元前587年、新バビロニア王国のネブカドネツァルによって滅ぼされました。その時、ゼデキヤ王の子供達は目の前で殺され、王の両目はつぶされ、鎖につながれて、バビロンに連れて行かれました。その時の捕囚人数は約1万人です。この詩は、そのような時代背景の中で作られたものであることを踏まえて、読まなければなりません。

★ハビロンの地に捕らえ移されたイスラエルの民達は、二つに分かれました。奴隷の地で、その地の豊かさに心惹かれ、支配者におもねる人々と、頑として信仰を貫く人々です。ペルシャがバビロンを倒し、イスラエルの人々が解放された時、10部族が自らバビロンに残ることを選んだのです。

★この嘆きの詩は、信仰を守り通した人の歌です。彼がハビロンで苦しんだのは、神の名が汚されていることでした。ハビロン人達は「戦争に負けたお前の神は何処にいるのだ」「お前たちの神を讃える歌を歌え」と言ってあざ笑ったのです。イスラエル人の多くはその屈辱に屈して、ハビロン人と同化していきました。そのような中で、この詩人は「私は忘れない」と信仰を告白しているのです。

★7~9節は、憎しみの詩です。エドム人は、バビロン軍と一緒にエルサレムを攻撃しました。このエドム人の子孫が、イエス様時代のヘロデ大王なのです。彼は、ユダヤ人から王が出ることを恐れていました。その時、東方の博士達が「ユダヤ人の王は何処に生まれましたか」と言って訪ねて来ました。(マタイ2:1~3)今日の詩篇から587年も経ったイエス様の時代になっても、ヘロデ大王はイスラエル国民の仕返しを恐れたのです。そうして2歳以下の男の子を皆殺しにしました。

★戦争は両国に大きな傷を残します。平和な時に「戦争は絶対に良くない」と言うのは簡単です。しかし戦争になりそうな時「戦争は良くない」というのは非常に難しいのです。私達は、戦争がないこの時代に「戦争は絶対悪である」と主張し、戦争に反対し、平和を祈りましょう。

詩篇講解NO137詩篇講解NO137「バビロンでの嘆きの詩」詩篇137篇1~9節    

                         仁井田義政牧師

7月6日礼拝「主の恵みはとこしえまで」

詩篇講解NO136「主の恵みはとこしえまで」詩篇136篇23~26節    

                         仁井田義政牧師

 今日の詩篇は、繰り返しの多い詩です。文学的な見地からすれば、美しさの枠から外れてしまうかもしれません。それは、ひたすら同じ文の繰り返しだからです。しかしこの詩は別名を「大ハレル」と呼ばれています。この詩は、礼拝を通して苦しみの中にある人に希望と勇気を与えます。

★まず1~9節までは、天地万物の創造者であられる神様に感謝する内容です。1節では感謝の理由を「主はまことにいつくしみ深い」方と言っています。いつくしみとは、神様の愛のことです。第二の理由は、神様が天地万物の創造者だからです。水も太陽も星も、神様の恵みによって造られたのです。決して偶然ではありません。この創造に、神様の英知と恵みが溢れています。

★1~22節までは、エジプトからの救出を神様に感謝する内容です。詩人は、出エジプトからバビロン捕囚期後までの歴史に言及しています。11節には「イスラエルをエジプトの真ん中から連れ出された」と記されています。約束のカナンの地に入ってからも、先住民とのいざこざが長い間続きました。しかし「主の恵みはとこしえまで」と繰り返すのです。

★23~26節までは、詩人の苦しみの体験です。詩人は自分の現在のことを「卑しめられた」「敵から」「食物を」と、経済的なことまで記しています。しかし神様は、天地創造から今まで、恵み深いお方であったと感謝しているのです。それゆえに、自分が今どのような状況にあろうとも、主の恵みが私の上にとこしえにあると言っているのです。

★詩人には、聖書の神による天地創造から現在までの歴史観がありました。その歴史には、人間が存在していなかった天地創造の時から現在に至るまで、神様がどのようなことをして下さったかの歴史観があったのです。ですから「卑しめられた体験」と「つぶしてしまおう」とする体験と、「食べ物の不足」を体験しても、その現実の苦しみにさえも希望があると告白し「主の恵みはとこしえまで」と、この詩を締めくくるのです。私達もどんな苦境にあったとしても、「主の恵みはとこしえまで」と感謝し、力強く生きていきましょう。