Monthly Archives: 7月 2025

7月20日礼拝「あなたは私に力を与えられた」

詩篇講解NO138「あなたは私に力を与えられた」詩篇138篇1~8節    

                         仁井田義政牧師

 ダビデの名がついた詩篇が73篇あります。その多くは、ダビデの作であろうと思われます。それゆえに、ダビデの名がついた詩篇には、個人的な内容が多く出てきます。

★ダビデは「私は心を尽くしてあなたを賛美します」と、主に賛美と感謝を捧げています。私達は、私達の口からどれほど神様への賛美と感謝の言葉が出ているでしょうか。気をつけないと、不平不満や嘆きの言葉が多くなってしまうのです。またダビデは「聖なる宮に向かってひれ伏す」と言っています。それは神様への絶対信頼を表わしています。

★ダビデは「私が呼んだその日に、あなたは答え、私の魂に力を与えてくださった」と記しています。その個人的な体験は、4節で「地のすべての王達はあなたに感謝しましょう」と続いています。つまり、世界の支配者にまで広がって行くと言うのです。それは5節で「あなたの御言を聞いたからです」と言及しています。御言を信じた者は、自分の体験となるのです。

★6節で「まことに、主は・・・低い者を顧みてくださいます」「私が苦しみの中を歩いても、あなたは私を生かして下さいます」と体験的に記しています。私達も、このように神様を信頼したいものです。

★この世は天国ではありません。ですから人生には、苦しみがつきものなのです。しかしたとえそうであっても、神様は「右の手で私を守って下さる」のです。右の手とは「全力で」という意味です。なんと力強く、地に足の着いた詩でしょうか。聖書は、神様を信じたら何一つ苦難に遭うことがないとは約束していません。箴言24章16節に「正しい者は七度倒れても、また起き上がるからだ。悪者はつまずいて滅びる」とあります。第16代アメリカ大統領エイブラハム・リンカーンは、いつもこの御言を告白し、難しい使命を成し遂げたと言われています。

私達も困難や苦しみの中でも、神様に感謝と賛美のできる強い人にして頂きましょう。

7月13日礼拝「バビロンでの嘆きの詩」    

                         仁井田義政牧師

 今日の詩篇は、非常に感情的な詩です。現実の戦争は、残虐であり、激しい感情がぶつかり合い、憎しみの火花が散る地獄です。イスラエルの南王国ユダは、紀元前587年、新バビロニア王国のネブカドネツァルによって滅ぼされました。その時、ゼデキヤ王の子供達は目の前で殺され、王の両目はつぶされ、鎖につながれて、バビロンに連れて行かれました。その時の捕囚人数は約1万人です。この詩は、そのような時代背景の中で作られたものであることを踏まえて、読まなければなりません。

★ハビロンの地に捕らえ移されたイスラエルの民達は、二つに分かれました。奴隷の地で、その地の豊かさに心惹かれ、支配者におもねる人々と、頑として信仰を貫く人々です。ペルシャがバビロンを倒し、イスラエルの人々が解放された時、10部族が自らバビロンに残ることを選んだのです。

★この嘆きの詩は、信仰を守り通した人の歌です。彼がハビロンで苦しんだのは、神の名が汚されていることでした。ハビロン人達は「戦争に負けたお前の神は何処にいるのだ」「お前たちの神を讃える歌を歌え」と言ってあざ笑ったのです。イスラエル人の多くはその屈辱に屈して、ハビロン人と同化していきました。そのような中で、この詩人は「私は忘れない」と信仰を告白しているのです。

★7~9節は、憎しみの詩です。エドム人は、バビロン軍と一緒にエルサレムを攻撃しました。このエドム人の子孫が、イエス様時代のヘロデ大王なのです。彼は、ユダヤ人から王が出ることを恐れていました。その時、東方の博士達が「ユダヤ人の王は何処に生まれましたか」と言って訪ねて来ました。(マタイ2:1~3)今日の詩篇から587年も経ったイエス様の時代になっても、ヘロデ大王はイスラエル国民の仕返しを恐れたのです。そうして2歳以下の男の子を皆殺しにしました。

★戦争は両国に大きな傷を残します。平和な時に「戦争は絶対に良くない」と言うのは簡単です。しかし戦争になりそうな時「戦争は良くない」というのは非常に難しいのです。私達は、戦争がないこの時代に「戦争は絶対悪である」と主張し、戦争に反対し、平和を祈りましょう。

詩篇講解NO137詩篇講解NO137「バビロンでの嘆きの詩」詩篇137篇1~9節    

                         仁井田義政牧師

7月6日礼拝「主の恵みはとこしえまで」

詩篇講解NO136「主の恵みはとこしえまで」詩篇136篇23~26節    

                         仁井田義政牧師

 今日の詩篇は、繰り返しの多い詩です。文学的な見地からすれば、美しさの枠から外れてしまうかもしれません。それは、ひたすら同じ文の繰り返しだからです。しかしこの詩は別名を「大ハレル」と呼ばれています。この詩は、礼拝を通して苦しみの中にある人に希望と勇気を与えます。

★まず1~9節までは、天地万物の創造者であられる神様に感謝する内容です。1節では感謝の理由を「主はまことにいつくしみ深い」方と言っています。いつくしみとは、神様の愛のことです。第二の理由は、神様が天地万物の創造者だからです。水も太陽も星も、神様の恵みによって造られたのです。決して偶然ではありません。この創造に、神様の英知と恵みが溢れています。

★1~22節までは、エジプトからの救出を神様に感謝する内容です。詩人は、出エジプトからバビロン捕囚期後までの歴史に言及しています。11節には「イスラエルをエジプトの真ん中から連れ出された」と記されています。約束のカナンの地に入ってからも、先住民とのいざこざが長い間続きました。しかし「主の恵みはとこしえまで」と繰り返すのです。

★23~26節までは、詩人の苦しみの体験です。詩人は自分の現在のことを「卑しめられた」「敵から」「食物を」と、経済的なことまで記しています。しかし神様は、天地創造から今まで、恵み深いお方であったと感謝しているのです。それゆえに、自分が今どのような状況にあろうとも、主の恵みが私の上にとこしえにあると言っているのです。

★詩人には、聖書の神による天地創造から現在までの歴史観がありました。その歴史には、人間が存在していなかった天地創造の時から現在に至るまで、神様がどのようなことをして下さったかの歴史観があったのです。ですから「卑しめられた体験」と「つぶしてしまおう」とする体験と、「食べ物の不足」を体験しても、その現実の苦しみにさえも希望があると告白し「主の恵みはとこしえまで」と、この詩を締めくくるのです。私達もどんな苦境にあったとしても、「主の恵みはとこしえまで」と感謝し、力強く生きていきましょう。