Monthly Archives: 10月 2025

10月19日礼拝「思い煩いからの解放」

「思い煩いからの解放」ビリピ4章4~7節 第一ペテロ5章7節                       

                                                  仁井田幸子師

 先月の婦人集会で、ある姉が「私は悩まない。悩む前に祈る」と証されました。そのあまりにも明快な言葉に、みんなから歓声が上がりました。素晴らしいことです。今日の御言もそのことを教えています。

★ビリピ書は、パウロが獄中からピリピの教会のクリスチャンに宛てた書簡です。苦しく辛い環境であるはずなのに「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」(4節)と強くすすめています。では、どうしたらそのような中で喜ぶことが出来るのでしょうか。この喜びは、嬉しいことがあって自然に出てくるものとは違います。自らの意志をもって、苦しい中でも、イエス様の愛を思い感謝することから、注がれてくる喜びです。

★次に6節で「何も思い煩わないで・・・祈り」とすすめています。では思い煩わないで良いその根拠はなんでしょうか。それは7節の「そうすれば、人の全ての考えにまさる神の平安があなたがたの心と思いをキリストイエスにあって守ってくれます。」です。また第一ペテロ5章7節には「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたを心配してくださるからです。」とあります。私達は、自分でいろいろ考えて心配し、悩みに入っていってしまいます。しかし神様は、私達の悩みを引き受けて下さるというのです。いっさいを委ねなさいとまで言って下さるのです。

★イエス様はヨハネ14章27節で、「わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるものは、世が与えるものとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」と言われています。イエス様は、私達人間が悩み多き者であることをご存知で、このように言って下さっているのです。私達は、その御配慮に応えるべきではないでしょうか。

★6節にあるように、まず自らの意志をもって、思い煩わないと決断すること。次に感謝をもって祈ること。その結果、神様の平安と喜びが与えられるのです。私達も御言を信じて、実践していきましょう。

10月12日礼拝「壮大な賛美への招待」

詩篇講解NO148「壮大な賛美への招待」148篇1~14節

                           仁井田義政牧師

人間は決して孤独ではありません。天と地の大賛美へと招待されているのです。その賛美は、世界の片隅でこっそりとされている賛美とは違います。誰にはばかることなく、大宇宙の悠久の歴史の中で行なわれている「ハレルヤ」への招待なのです。

★1〜2節で、私達の目を主が造られた霊的世界へと向けさせます。そこには、天における全ての御使達の大合唱が見えます。

3~6節は、「日よ、月よ、星よ」という神様の創造物である大宇宙の賛美です。6節に「主は彼らを世々限りなく立てられた」と記されています。それは、永久に亘って創造主の素晴らしい御業を賛美し続けている姿です。

★私達の目を天に向けさせていた詩人は、次に私達の目を地上に向けさせます。それは、動物の世界から植物の世界まで、全ての被造物の世界です。その世界も、創造主である神様の知恵に満ちているのです。生まれた乳飲み子が、何の体験もないのに、なぜ母親にはオッパイがあると知っているのでしょうか。それが本能だと一言で片づけてしまうのは、あまりにも雑すぎる結論です。それはあらかじめ神様が教えておられるのです。

★創世記によれば、人間は神様に似せて造られた神様に最も近い存在です。しかしその人間が、神様の素晴らしさを最も知らない存在になってしまっているのです。そこに、人間の悲惨の全てがあるのです。ですから私たち人間は、老若男女を問わず人間の本性を取り戻さなければなりません。それは神様の発見であり、神様への大賛美、壮大なハレルヤへの参加なのです。

★この詩人は、「神様の創造の御業はなんと素晴らしいことか」と賛美しています。年末に世界でよく歌われる歌は、ヘンデルの「ハレルヤコーラス」とベートーベンの「第九」です。日本では「第九」が多く歌われますが、世界ではヘンデルの「ハレルヤコーラス」が断然トップです。どちらも神様をほめたたえる素晴らしい賛美です。私達も、大勢の天使達、大宇宙、大自然とひとつとなって、その「ハレルヤ」に加わり、私達の神様をほめたたえる大合唱の賛美に加わりましょう。

10月5日礼拝「神様に喜ばれること」

詩篇講解NO147「神様に喜ばれること」147篇1~11節

                           仁井田義政牧師

今日の詩篇147篇2~3節を見ると、この詩篇は、イスラエルの歴史中の屈辱的なことの後に書かれたと思われます。それは、バビロンでの奴隷体験です。その反省の上に立って、この詩人は「神様に喜ばれることは何か」を記しています。

★「ハレルヤ!」という言葉でこの詩は始まっています。それは「主をほめたたえよ」という礼拝での賛美の招きです。賛美は「良い」「楽しい」「麗しい」と、主への賛美が勧められています。賛美する理由は「追い散らされた者を集め」「心の打ち砕かれた者を癒し」「彼らの傷を包んで下さる」という神様の救いの御業をほめたたえることです。

★4節には「追い散らされた者を集め」「心の打ち砕かれた者を癒し」「彼らの傷を包んで下さる」神様が記されています。さらに「その偉大さは全宇宙の星の数を数え、その全てに名を付けられる。」と記されます。「名を付ける」とは支配のことです。私達人間社会でも、新しい星や動植物が発見されると、まず名を付けます。それを分類し支配するためです。その偉大な神は6節で「心の貧しい者を支えて」下さり「悪者を地面に引き下ろす」方なのです。また「悪者」とは、自分の力を誇って神様を信じない人のことです。

★神様は全ての人の為に恵みの雨を降らせ「カラスの子」にまでも、食物を与えられると記されています。「カラスの子」とは、カラスが忌み嫌われた鳥だったからです。イエス様も、ルカ12章24節で「烏」のことを記しています。全ての星に名前を付け支配しておられる神様が、「烏の子」にさえ目を留め支えて下さっていると言うのです。ましてや人間であるあなたを見捨てておられるはずがないと、今日の詩篇は言っているのです。

★そして11~12節には、神様が嫌われることと喜ばれることが書いてあります。まず神様が嫌われることですが、神様は「馬の力」を喜ばれません。それは軍事力のことです。それでは神様のお喜びになられることは何でしょうか。それは「主をおそれ、主の恵みを待ち望む者を喜ばれる」のです。私達はそのような神様に感謝し、心からの祈りと賛美をささげましょう。