Monthly Archives: 3月 2025

3月30日礼拝「主が家を建てるのでなければ」

詩篇講解NO127「主が家を建てるのでなければ」127篇1~5節

仁井田義政 牧師

日は、私達の教会の50周年記念礼拝です。50年前に信仰のみによってこの教会は開始されました。教会と言っても、家内の実家の8畳間一室を借りての始まりでした。しかし50年の年月が経って、今日の詩篇127篇1~2節が身に染みて聞こえてきます。

★1節には「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きは虚しい」と記されています。この詩がソロモンの詩だとすれば、神の家とは神殿のことです。ソロモンは、神殿を建てた後にこの詩を書いたのでしょう。主が建てたのでなければ、立派な神殿もそれは虚しいという意味です。

★私達の教会も、50年の間に4回も礼拝場所が変わりました。家内の実家から一年後に一軒家。その2年後に第一回目の会堂が建てられ、それから12年後に、第二回目のこの会堂が建てられました。その主導権は全て神様にありました。「50年間私達はこうしました」と言いたくなりますが、「主は、その愛する者には、眠っている間にこのように備えてくださる」と2節に記されています。

★ソロモンは「子供たちは主の賜物である」と記しました。昔は子供の多さは、その家の祝福の象徴とされていました。しかしこれは、主の宮への巡礼者の詩なので、単なる子供の多さのことではなく、礼拝のためにエルサレムの神殿に上って来た人々のことであろうと思われます。溝の口教会も、50年経って、このように礼拝者が集っています。そして多摩にも株分け教会ができています。私達の教会は、もはや50年前の二人ではありません。神の教会としても「この子らは勇士の手にある矢」(4節)「彼らは門で、敵と語る時にも恥を見ることがない」(5節)と記されています。

★私達は50周年記念のこの時点で、力が与えられています。その戦いは武器を手にしての戦いではありません。それは、人々を愛する霊的な戦いです。私達は矢筒の中に収められている矢のように、ひとつとなっていなければなりません。50周年を迎えた溝の口教会は、いよいよひとつになって、次の50年に向かって、力強く前進して行きましょう。

3月23日礼拝「涙と共に種をまく人」

詩篇講解(NO.126)「涙と共に種をまく人」126篇1~6節

                         仁井田義政 牧師 

 この詩篇は非常に有名です。特に5-6節は、キリスト教界の大きな大会等でも朗読される聖句です。この詩の前半は、喜びと感謝に溢れています。後半は「涙」という言葉がありますが、希望にあふれています。

★イスラエルの民は、神様への不信仰の為に、バビロンの奴隷とされてしまいました。奴隷になると、そう簡単に自由人になれなかった時代です。王が代わり、政権が幾度代わろうと、奴隷は奴隷のままのことが多かったのです。しかし預言者エレミヤは、「バビロンの奴隷生活は70年間」と預言していました(エレミヤ25:11-12)。それを発見したのが、捕囚となって67年後頃、バビロンにいたダニエルです(ダニエル書9:2)。

★バビロンに移されて67年目の頃、人々は絶望していました。バビロンで生まれた人の中にも、67歳になる人がいたわけです。しかしエレミヤの言葉によって、もう間もなく奴隷生活が終わると知った民は、喜びに溢れました。しかし、どのように解放されるかは分かりません。それは不可能なことでした。しかし、ペルシャのクロス王がバビロンを滅ぼし、イスラエル人奴隷を解放したのです。しかも神殿を造るお金までも与えて、解放しました。

★しかし喜び勇んで帰って来た彼らの見たのは、荒廃したエルサレムとイスラエルの地でした。また破壊された神殿を再建しようとすれば、サマリヤ人から嫌がらせを受けました。この時を境に、イスラエル人はサマリヤ人と長い間反目し合うことになりました。神殿再建を中断して、まず生活を優先させるために農業をしようとすれば、70年見捨てられた農地は、荒れ果てていました。しかしどんなに辛くても、種を蒔いてこその収穫なのです。

★私達の人生や生活は、イスラエルのバビロン捕囚時のように、どうにもならないと思っていないでしょうか。そうならないように、預言者エレミヤは何度も警告していたのです(エレミヤ1:14)。しかし人々は、その警告を無視しました。神様の言葉を無視するところから、人生の苦しみが始まります。しかし御言によって、希望が湧いてくるのです。そのためには涙を流すほどの耕作と種まきが必要なのです。そうする者だけが、束を抱え喜びの時を迎えるのです。神様の御言を信じて、御言の種を蒔きましょう。

3月16日礼拝「平和があるように」

詩篇講解(NO.125)「平和があるように」125篇1~5節

                         仁井田義政 牧師 

 今日の御言の最後には「平和(シャローム)があるように」とあります。この言葉は、今世界中で最も必要な言葉ではないでしょうか。二十世紀は第一次世界大戦、第二次世界大戦と戦争の世紀でした。そうして世界中が「二十一世紀こそ、戦争がない時代に」と、25年前に出発したはずです。

★1節に「主に信頼する人はシオンの山のようだ」とあります。シオン(エルサレム)の山と結びつけられているのは、信仰と関係しているからです。不安は心の中に起こります。しかし主に信頼する者は揺るぐことがないと記されています。不安がないので心が平安であるという意味です。

★それは、エルサレムが山々に囲まれているように、主が御民をとこしえまでも守られるというイメージでした。そのように「主は御民をとこしえまでも囲まれる」と詩人は記しています。しかしイスラエルの歴史は、不信仰ゆえに国が破れることを体験することになるのです。それはエルサレムでのキリスト殺害によって、A.D.70年にローマ軍が破壊してしまうのです。

★主の守りは永遠です。「しかし曲がった道にそれる者を連れ去られる」と記されています。どこからどこへ連れ去るのでしょうか。キリスト殺害後、イスラエル民族は、二千年間エルサレムから連れ去られ、今に至るも平和から遠いのです。

★この巡礼者は、エルサレムの町が神殿を中心に山々に囲まれているのを見ました。そして礼拝者の私達も、神様によってあのように守られているのだとの信仰的な洞察を得たのです。信仰者であって神様の守りに囲まれている存在であっても、曲がった道へそれる時に、つまり神様に対する信仰から曲がってしまう時に、神様の守りは失われてしまうのです。ホサナ「主よ、いま救ってください」とイエス様をエルサレムに迎えた人々なのに、一週間もたたないうちに「私達に、お前はいらない」と、キリストを十字架につけ、殺してしまったように、心が曲がり不信仰になる時、平和を失ったのです。

心を真っ直ぐに信仰へと向けましょう。そうすれば神様は、あなたをあらゆる困難から守って下さいます。

3月9日礼拝「幾度もの危機から」

詩篇講解(NO.124)「幾度もの危機から」124篇1~8節

                         仁井田義政 牧師 

私達の人生は、幾度もの危機に遭遇します。この詩にも、数多くの危機的な状況が記されています。詩人は巡礼の末にエルサレム神殿で礼拝し、自分の人生とイスラエル民族の歴史を振り返っています。そして「もしも主が私の味方でなかったなら」と、この短い詩の中で二度も記しています。

★詩人も、彼の民族も幾度もの危機に遭いました。その様子を「人々が私達に逆らって・・・彼らの怒りが・・燃え上がった時」(2~3節)と記しています。また「大水が押し流し、私達を越えて行ったであろう」(4~5節)とも記しています。また獰猛な敵からの危険を「歯の餌食にされなかった」(6節)と記し、「罠にかかった鳥のように」とも記しています。しかし神様が助け出して下さったのです。

★詩人は上述の色々な困難の体験を、個人のそして民族全体の体験として「もし主が私達の味方でなかったなら」と感謝しているのです。私達の信仰も、過去の神様の数々の守りと祝福を思い起こすことによって強化されるのです。私達は、礼拝で悩みばかりを神様に訴える者であってはならないのです。

★私達の味方の神様は、将来においても私達の味方として、いつも私達のそばにいてくださいます。ローマ書8章31節に「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう」とあります。35~37節には「患難、苦しみ、迫害、飢え、裸、危険、剣…から圧倒的勝利者となる」と記されています。人々がなぜ人生の中で困難に遭う時、絶望し敗北してしまうのでしょう。味方になる神様を信じていないからです。

★旧約聖書の詩人は「もし主が私達の味方でなかったなら」と仮定法で言っています。しかし、それは「主は私達の味方であられる」ということを、強調するための仮定法なのです。新約聖書の使徒パウロは「主が私達の味方であるなら、だれが私達に敵対できるでしょう」と未来形で言っています。

神様の守りを信じる人となるなら、この詩人やパウロの言うように「圧倒的な勝利者」となるのです。神様が私達の味方であることを信じる者となって、危機や困難も恐れない勝利者となりましょう。

3月2日礼拝「私はあなたに向かって目を上げる」

詩篇講解(NO.123)「私はあなたに向かって目を上げる」123篇1~4節

                         仁井田義政 牧師 

 今日の詩篇は、僅か4節だけのごく短い詩です。しかしこの詩には、神様と人間との壮大なドラマが記されています。

★詩人は、当時の最高の神殿を目指して旅を続けて来たのです。そうして神殿での礼拝を心から喜んで、この詩を書いたのでしょう。しかし詩人は、その素晴らしい神殿に目を奪われてしまってはいないのです。詩人は、神殿で礼拝しつつも、その信仰の目は神殿をつらぬき「私はあなたに向かって、目を上げます」と祈り「天の御座についておられる方よ」と祈っているのです。礼拝とは、そうでなければなりません。礼拝者の信仰の目は、教会の礼拝堂を突き抜け、天におられる神様にまで目を上げることが大切なのです。

★また詩人は、「奴隷の目が主人の手に向けられるように、私達の目は私達の神、主に向けられています。」(2節)と言っています。これは奴隷制度の中の主人の厳しさ、恐ろしさを表わしているのではなく、神様の御指示のことなのです。それは、神様である主人の手の動きを、ひとつも見逃さないということなのです。また神様の手が動き指示命令が出た時には、「それは無理です」とか、「私はそうしたくありません」とか言わないということです。それは、主なる神様への従順な姿勢が込められているのです。

★この詩は 1節では「私」で始まったのですが、2節からは「私達」と記されています。つまり詩人は、自分の住んでいる人々の代表として祈っているのです。その故郷の人々は、3~4節にあるように「あざけりとさげすみ」とで「もういっぱい」の状態でした。

★私達も今、巡礼者のように礼拝に来ているのです。私達の住んでいる所にも、いろいろな問題を抱えて「いっぱい、いっぱい」になっている人達がいます。その人は家族かもしれませんし、友人かもしれません。ですから今日の詩人のように、たった一人で礼拝に来たとしても、目を上げ、教会堂を突き抜けて、全能なる神様に目を上げ「主よ、私達を憐れんで下さい」と、とりなしの祈り手となって祈りましょう。諦めて下を向いたままではいけません。私達も、天の御座に信仰の目を上げて、そこにおられる主に祈りましょう。