マタイ講解NO17「真実を話す日常生活」5章33~37節
仁井田義政 牧師
今日のイエス様の御言は、禅問答のようで、何を言われているのか、わかったようでわからない所です。わかったように思うのは、「誓ってはいけません。」との言葉です。しかし誓わないで約束が成立するのでしょうか。読み直してみると、約束が必要ないと言っているのではなさそうです。
★ここでの「誓」とは、そのあとの文の続きによって、神様の名にかけて誓うことであることがわかります。「私は潔白です。天地神明にかけて私はやっておりません」という人がいます。日常会話で「天地神明にかけて」という言葉が出る時には、相手に疑われている状況があるわけです。
★その薄い信用度を神の名を使って補強し誓ってはならないという教えなのです。「天を指して誓ってはならない。そこは神の御座だから。地を指して誓ってはならない。そこは神の足台だから。エルサレムを指して誓ってはならない。そこは偉大な王の都だから。頭を指して誓ってはならない。髪の毛一本すら自分の思うままには出来ないのだから」とイエス様は言われました。それは軽々しく神の名を出して誓ってはならないということなのです。
★この教えは、マタイ5章20節の「あなたがたは、律法学者、パリサイ人の教えに優るものとならなければなりません」の教えの続きなのです。律法学者やパリサイ人は、神の名でよく誓うが、あなたがたはそうであってはいけませんということです。それは、モーセの十戒の「神の名をみだりに唱えてはならない」との言葉につながる注意でもあるのです。
★来週から受難週が始まります。イエス様は、ローマ総督ピラトの前で尋問を受けられました。ピラトは、イエス様の答え如何によっては、イエス様の十字架刑を許そうと考えたのです。そしてイエス様に「あなたはユダヤ人の王なのか」と尋ねました。イエス様は「あなたの言うとおりです」(マタイ27:11)と応えられました。言葉を濁されれば良かったのです。しかしイエス様は、はっきりと「はい、そうです」と言われました。その為に十字架刑が決定しました。私達もイエス様に倣って、日常生活の中で真実を話す人になりましょう。
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