仁井田義政 牧師
イエス様が宣教を開始されると、直ぐにユダヤ教の指導者達に危険人物とみられるようになりました。律法を守っていない漁師や取税人や病人までを受け入れていたからです。
★今日の聖書の箇所は、5章16節の「良い行い」と繋がっています。当時「良い行い」とは「律法を守ること」だと誰もが直感することでした。その律法は、613箇条もありました。「その律法を守れない罪人達や、律法を全く知らない外国人までを集めるとは何事か!」と批判されたのです。
★その批判に対して、イエス様は「私が来たのは律法を廃棄するためではなく、成就(完成)するために来たのです」と言われました。さらに「天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画も決してすたれることはありません」と言われました。また「もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に入れません」と言われました。これは律法学者、パリサイ人への強烈な皮肉であり、批判でした。
★それでは「律法の成就(完成)」とは何でしょうか。それをイエス様はマタイ22章34~40節で「神を愛すること。隣人を愛すること」の2つの愛にまとめられました。そして「律法全体はこの2つの戒めにかかっている」と言われました。ギリシャ語では「ぶら下げられている」という意味なのです。つまり「愛」というフックが外れると、バラバラに落ちてしまうのです。
★それではどのようにしたなら「愛による戒め」に変えられるのでしょうか。それは、ヨハネ第一の手紙4章10節の中に「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物として御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」と書かれています。つまり神様の愛を知ることです。そこには、恐怖ではなく愛と喜びがあります。
私達は、律法学者やパリサイ人のように恐怖に生きるのではなく、愛と喜びによって生きましょう。
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