仁井田義政 牧師
新しい時代が近づいているのを感じていた洗礼者ヨハネは、新しい時代を生きるようにと、人々に悔い改めの洗礼を授けていました。するとイエス様が、洗礼を受けるために故郷のナザレからヨハネの所に出て来られたのです。そのことにヨハネは驚き、戸惑いました。
★ヨハネは、洗礼を受けようされるイエス様に洗礼を授けることをためらいました。それはヨハネの洗礼の目的は「悔い改めの洗礼」(3章2節)だったからです。イエス様は罪のない御方であるから、私こそイエス様から悔い改めの洗礼を授けて頂くのが正しいと思ったのです。たとえば、子供達に習字を教える先生の所に、世界的な習字の先生が来て「私に習字を教えて下さい」と言ったとしたらどうでしょう。恐縮し必死に止めようとするでしょう。
★イエス様は罪のない御方です。ですから洗礼が必要ないのです。その御方が、罪人と一緒の列に並び、洗礼を受けようとされたのです。それは、私達罪ある人間と、イエス様の連帯を示しています。それこそがイエス様の使命に「正しい」のです。ヨハネはそれを聞いて承知し、洗礼を授けました。
★すると「天が開けて、聖霊が鳩のように下り、これは私の愛する子」と父なる神の声が聞こえたと聖書に記されています。それはまさに「父・子・聖霊」なる神が、イエス様の「罪人との連帯」を喜ばれたことを表わしています。つまり、イエス様が罪人との連帯を喜ばれたことを示しています。
★イエス様が罪人の列に加わり洗礼を受けられると、「天が開け」ました。四百年も閉ざされていた天との交流が、開始される新しい時代が始まったのです。それはノアの洪水の時に、放たれた鳩がオリーブの葉をくわえて来た時のようでした。イエス様が水から上がられると「これは私の愛する子、私はこれを喜ぶ」との声が聞こえました。それは私達もイエス様に習って洗礼を受ける時「神の愛する子」とされることを示しています。
★イエス様が、私達の代表となって人間の列に並んで洗礼を受けられたように、ここに集まっている皆が洗礼を受けて、クリスチャンになりましょう。