8月24日礼拝「八方ふさがりの時の祈り」

詩篇講解NO142「八方ふさがりの時の祈り」142篇1~7節

                        仁井田義政牧師

この詩は、表題には「ダビデのマスキール。彼が洞穴にいた時に。祈り」とあります。ダビデはサウル王に追われて洞穴に身を隠しました。そこでは、漆黒の闇に身を隠す以外に一本のろうそくさえも灯すことが出来ないのです。光を灯すならば直ぐに敵に見つかってしまうでしょう。まさにどん詰まりの暗い体験でした。どこにも抜け道の見出せない暗黒の体験でした。

★そのような洞窟でダビデがしたことは、洞窟の岩をも通過する神様への祈りでした。ダビデの命を取ろうとして、追ってきたサウル王とその最強軍に対して、ダビデは暗闇に身を隠しているしかないのです。しかしダビデは洞窟で震えているだけの人ではありませんでした。ダビデの心は、厚い岩山を通過して、天におられる神様に向いていたのです。

★ダビデは、しっかりと「主に向かって」(1節)祈り始めました。その祈りは「神様に、声をあげて叫ぶ祈り」でした。その祈りは「神様に嘆きを注ぎ出す」祈りでした。その祈りは「自分の苦しみを言い現す」祈りでした。

★ダビデは、神様を信じていることが、この地上での最高の財産であると祈っています。ダビデは「自分が苦しみから逃れられればそれで良い」との祈りをしませんでした。ダビデは「私があなたの御名に感謝するようにしてください」と祈ったのです。私の救われた体験で「人々が私の回りに集まるでしょう」と、神様への礼拝が始まることを予想して、祈っているのです。

★私達もダビデと同じように「抜け道も見つけられず、真っ暗な洞窟に閉じ込められてしまったような体験をするかもしれません。孤独と絶望に震えうずくまって、一歩も動けないような体験をするかもしれません。たとえそのような八方ふさがりの暗闇の中にあっても、ダビデのように神様に信仰の目を向けましょう。神様は、その祈る人に目を注いで助け出されるのです。助け出された後はどうするのでしょうか。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」人になってはなりません。神様を礼拝し賛美する人になりましょう。誰が何と言おうと、神様を信じる人になりましょう。

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