Monthly Archives: 6月 2025

6月29日礼拝「ハレルヤ!主をほめたたえよ」

詩篇講解NO135「ハレルヤ!主をほめたたえよ」詩篇135篇1~8節    

                         仁井田義政牧師

今日の詩篇は「ハレルヤ!」で始まり、終わりの方には、何ヶ所にも「主をほめたたえよ」との薦めが記されています。真の信仰とは「主をほめたたえることである」と言わんばかりです。神殿での礼拝のための「都上りの歌」は、134篇で終わっています。しかしなお詩篇は「主をほめたたえよ」と繰り返し薦めています。それほどまでに、信仰には「主をほめたたえる」ことが大切なのです。

★ハレルとは「ほめたたえよ」という意味で、「ヤー」はヤーウェの短縮形です。聖書時代の信仰者は、神の御名をみだりに口に出すことを恐れたのです。それは出エジプト記20章7節に「主の名をみだりに唱えてはならない」と記されているからです。また聖書を読んだり祈ったりする時も、神の御名の所に来ると、人々は「アドナイ=主」と発音したのです。              

★詩篇135篇の作者は、「主の家で仕える」人にも賛美を薦めています。それは、牧師に「聖書を読みなさい」「祈りをしなさい」というのと同じです。そして礼拝に来られた一般の礼拝者にも、全ての信仰者に神様への賛美が薦められているのです。

★賛美の理由は、神様の救いにあります。1~4節には「主はまことにいつくしみ深いからである」と、5~7節には「神様が自然を支配されているからである」と、そして8~14節には「神様は救出の神だからです」と、さらには15~18節には「神は人間の作った偶像などではないからです」と記されています。それゆえに、神様は賛美を受けるに最もふさわしい御方であるのです。

★続いての19~21節までは、賛美への誘いのオンパレードです。この所では全聖職者集団と、全礼拝者に呼びかけています。礼拝においては聖職者も信徒もないのです。私達は、礼拝において主をほめたたえる時を最も大切な時としましょう。聖霊に満たされて、主をほめたたえるのです。その時、救いが起こり、癒しが起こり、奇跡が起こるのです。主は「賛美を住まいとしておられるからです。」私達は心から主を賛美しましょう。

6月22日礼拝「礼拝者に注がれる祝福」

詩篇講解NO134「礼拝者に注がれる祝福」詩篇134篇1~3節    

                         仁井田義政牧師

 今日の詩篇は非常に短い詩でありながら、重要な位置に置かれています。それは、120~134篇までの「都上りの歌」15篇の最後に位置しているからです。

★1節は、「主をほめたたえよ」との薦めで始まっています。長い旅をして神殿にたどり着き、数日間の礼拝の後、いよいよ帰らなければならない時が来たのです。その数日、主の宮での礼拝でどんなに祝福されたことか、その全ての感謝をこめて「全ての礼拝者、またとりなしの祈りをしてくれた祭司たち、主をほめよ」と喜びを現わしているのです。

★「夜ごとに、主の家で仕える者たちよ」は、祭司たちのとりなしの祈りのことです。夜は多くの人にとって眠らなければならない時です。しかし私達の眠っている時にも、眠らず祈って下さっている祭司たちがいるのです。

★また詩人は「祭司たちも、礼拝者たちも聖所に向かって手を上げ、主をほめたたえよ」と記します。「手を上げて」の礼拝とは、絶対的な信頼、心からの賛美を現わします。手を上げての賛美が、消極的であるはずがありません。牧師たちと信徒たちが手を上げ主をほめたたえる時、天地を造られた主から祝福が注がれるのです。

★夜ごとに主の家で仕える祭司たちを、新約聖書の光を通して見てみますと、大祭司と言われるイエス様の姿が浮かんできます。へブル7章24~25節と8章1節には、大祭司なるイエス様のことが記されています。現代の完全な聖所である天の聖所において、イエス様は神の右に座し、いつも私達の為に昼夜なく、とりなしてくださっているのです。私達が深い眠りについている時も、日々の生活の一寸先が見えない不安な時も、イエス様は私達の為に昼夜なく、とりなしの祈りをしてくださっているのです。

ですから私達は、主に信頼し、両手を上げ感謝して祈る時、今日の134篇3節の祝福が「天地を造られた主から来る」のです。私達は牧師たちも信徒たちも、ひとつになって手を上げて、賛美と感謝の礼拝をささげましょう。

6月15日「ひとつになる幸せ」

詩篇講解NO133「ひとつになる幸せ」詩篇133篇1~3節    

                         仁井田義政牧師

今日は父の日です。午後には、南地区の壮年合同集会がズームで行なわれます。さて、この詩は短い詩でありながら、読む者をほっとさせます。

先週はペンテコステの日でした。この詩篇は、ペンテコステの日と直接関係はありませんが、ある意味、充分に関係の深い詩であると思えるのです。

★まず「兄弟達がひとつになる幸せ」のことが記されています。兄弟と言っても、血縁関係にある一家族のことではありません。様々な悩みや問題を抱えながら、色々な地方から礼拝に集まって来た礼拝者達を意味しています。どこから来ても、どんな問題を抱えていても、父なる神様をひとつになって礼拝する主の兄弟達なのです。

★新約時代はさらに兄弟の範囲は拡大し、パウロはピリピ3章1節で主を信じる全ての人々を「兄弟」と呼んでいます。もちろん教会は天国ではありませんし、信徒達は天使達でもありません。ですから人間関係で問題が起きたりすることがあるのです。新約聖書の多くの手紙はその為に書かれました。主にある兄弟達は、それを乗り越えなければなりません。主にある兄弟だからです。違いを認め合いつつ、主の家に共に住み、主を礼拝するのです。

★「ひとつになって」とは、調和することです。英語では「ハーモニー」と言う語が使われています。音楽会には様々な楽器が用いられます。それぞれの楽器は、作られた国も音色も違います。そのそれぞれがハーモニーとなる時、そこに集う人達はその音色に酔いしれるのです。礼拝者は、主のもとにある兄弟姉妹達です。ですからひとつ心となり礼拝する時に、幸せと楽しさがあふれるのです。

★その幸せは「なんという幸せ」「なんという楽しさ」という感動なのです。「それは祭司アロンに注がれた油のようだ」と。神様にお仕えするための特別な聖別された油のことです。その油は、新約においては聖霊を現わします。兄弟が違いを認め合いながらも、互いに主を礼拝する者として和合する時、聖霊の油がその上に注がれるのです。そこに私達の幸せと楽しさがあります。私達も主を礼拝することにおいて、ひとつとなる幸せを頂きましょう。

6月8日 (ペンテコステ礼拝)「異言と聖霊の力」

(ペンテコステ礼拝)「異言と聖霊の力」使徒の働き2章1~8節    

                         仁井田義政牧師

今日は、世界最初の教会誕生の記念日です。世界最初のキリスト教会は、エルサレムに誕生しました。それは偶然ではありません。復活のイエス様が約束しておられたのです。それは、聖霊のバプテスマの力を受けた世界初の教会が誕生するということでした。

★それでは「聖霊のバプテスマ(洗礼)」とは、どのようなことなのでしょうか。バプテスマとは「浸す」と言う意味です。浸すとは、一滴二滴ではなく、全身が浸されるのです。特別な人にではありません。弟子達は「ガリラヤの人」と言われ、当時、無学な人とも言われていました。聖霊は、誰でも聖霊の力を受けたいと強く願って祈り求める人に与えられるのです。

★聖霊を受けたことは、どのようにしてわかるのでしょうか。それは自分の口から知らない言葉が出てくることによってです。イエス様は、明確に聖霊を受けると力を受けると言っておられます。

★しかし長い間、この真理は世界の教会に忘れられていましたが、今から124年前に、アメリカのカンサス州トペカの「ベテル聖書学院」で祈祷会を行なっていた時、学生のアグネス・オズマンが聖霊に満たされて、異言を語り出しました。それから今年で僅か124年です。その間にペンテコステ派は、世界で6億人以上に増加したと報告されています。それは世界人口の10%に迫る数です。ペンテコステ派はプロテスタントで最大となりました。

★世界のアッセンブリー教団は、MM33というビジョンを掲げました。昨年の世界のアッセンブリーの教会数は、450106です。あと8年位の間に100万教会にしようという計画です。日本の状況とあまりにもかけ離れていますが、聖霊を受けると力を受けるということは事実であり、イエス様が約束して下さったように、教会が力に満ちて活動していくために、絶対に必要な真理です。

★それぞれの教会が聖霊に満たされるならば、5名の教会が7名に、10名の教会が15名に、100名の教会が120名になるでしょう。

私達の教会にも、ますます聖霊の力が必要です。今日の午後に、聖霊待望会を行ないます。皆で、聖霊充満を求めて祈りましょう。

6月1日聖降臨前礼拝「ペンテコステの力に向かって」

聖降臨前礼拝「ペンテコステの力に向かって」ルカ24章44~53節 

                         仁井田義政牧師

来週はペンテコステです。それは教会誕生の記念すべき日です。今日は、その前の礼拝ですので、待ち望みつつ礼拝しましょう。

★ルカによる福音書と使徒の働きは、ルカによって書かれた前編と続編です。ルカは12弟子ではなく、パウロの伝道でクリスチャンになったギリシャ人である可能性が大です。ギリシャ人で異邦人のルカが、異邦人の高職「尊敬するテオピロ殿」と敬称を付けて書きました。敬称が書かれていることから、求道中だったのではないかと言われています。その後に書かれた使徒の働きには、敬称が書かれていません。クリスチャンになったからだと思われます。

★ルカは医者でもあり、歴史家でもありました。当時の医学用語が文中に用いられていますし、また歴史家として「はじめから綿密に調べて」書き、「順序立てて書いている」と記されていることから分かります。その目的は「正確な事実」を書いて、テオピロに献上することでした。前編は、キリストの誕生から昇天まで。続編は、キリストの昇天から福音がエルサレムからローマまでどのようにして伝えられたかを記しています。

★復活のイエス様が言われたことは「モーセの律法、預言者、詩篇の預言は全て成就する」「福音は、エルサレムから始まって、あらゆる国の人々に延べ伝えられる」ことでした。そしてそのための「力を着せられるまでエルサレムにとどまっていなさい」(ルカ24:49)と言われています。続編の使徒の働き1章4節では、その力が「聖霊のバプテスマ」であることを記しています。

★弟子達は、その約束の「聖霊のバプテスマ」がどのようものかを知らずに、エルサレムに留まって待ち望んだのです。洗礼者ヨハネも「私はあなたがたに水で洗礼を授けたが、私の後に来られる方は聖霊によって洗礼を授ける」と予言していました。しかし「聖霊による洗礼」がどのようなものか、何が起きるのかも知らずに、ただ「力を受ける」のを120名の者達が祈って待ったのです。弟子達は、聖霊の力を求めて10日間も祈りました。

私達も聖霊の力を求めて、今日からペンテコステに向かって祈りましょう。