詩篇講解NO.102「悩む者の祈り」詩篇102篇1~13節
仁井田義政牧師
今日のメッセージ題は、102篇の表題をそのままつけさせていただきました。私達の人生には、悩みと苦しみを体験することがあります。しかもこの詩人は、神様を信じている信仰者なのです。それは信仰者の上にも、悩みや苦しみがあることを現わしています。そのような時、私達はどのように祈ったら良いのでしょうか。
★詩人は、激しい悩みと苦しみを体験しました。その激しい悩みと苦しみは、この人の食欲まで減退させ、体まで痩せ衰えさせたのです。食物を食べても「灰のように。飲み物は涙」のように感じました。(8~9節)しかも、その原因が「あなたの憤りと怒りとのゆえ」と言っています。それは、「私の罪の故に」と言っていることと同じです。
★そのような絶望的な状況で「しかし主よ・・あなたはシオンをあわれんでくださいます」(12~13節)と祈っています。人間的には絶望的な状況にあっても「しかしあなたは」(ヘブル語のブェアター)で、一変するのです。この詩人の悩みと苦しみは、エルサレムの崩壊と関係しています。シオンはエルサレムのことです。エルサレムの崩壊という大きな事件が、一個人の悩みと苦しみの祈りとなっています。しかし神様は、その一個人の窮した者の祈りを「顧みてないがしろに」はされないのです。これこそ、詩人の個人体験なのです。(17節)
★詩人は、その体験を「後の時代の人々の為に書き記」しました。「新しく造られる民が、主を賛美しますように」(18節)との目的が記されています。その「新しく造られる民」とは、キリストの恵みによって救われた私達のことと理解しても良いのです。神様は、旧約の時代も新約の時代も、小さな者の祈りをないがしろにされません。神様は愛と優しさに満ちた御方なのです
★26節に「全てのものは衣のようにすり切れます」とあります。私達の命もはかないものです。しかし神様の恵みといつくしみは、変わることがありません。それゆえに「あなたのしもべらの子孫は住みつき、彼らのすえは、あなたの前に堅く立てられましょう」と結論付けられています。ですから、どんな時にも絶望せずに「主よ。私の祈りを聞いてください」(1節)と祈りましょう。