10月1日礼拝「重荷を担われる主」 

                   仁井田義政牧師

今日の詩篇68篇の内容は、祈りあり、感謝あり、イスラエルの歴史に言及するところありで、多岐にわたっています。そこで68篇の中心的な御言を探し出し、お話しましょう。

★私達の人生には、負い続けなければならない重荷があります。重荷とは、悩みのことだけではなく、責任としての重荷もあります。会社員は仕事に対しての責任があり、親は子に対しての経済や教育に対して責任があります。そしてその重荷からは逃げられません。それに加えて、それらの問題からくる取り越し苦労という重荷もあります。この詩篇では、敵が重荷となっています。

★この詩篇の偉大さは、人間の様々な重荷を担って下さる主(神様)がおられると示しているところです。自分一人で担う重荷は、文字通り重荷ですが、御言のように「主が日々重荷を担って下さる」ことを知れば、重荷も軽くなるはずです。イエス様は、マタイ11章28~30節で「全て疲れた人、重荷を負う人は、私の所に来なさい。私があなたがたを休ませてあげます」と言われました。その条件は、謙遜になってイエス様の言葉を信じることです。

★私達の人生の最大の重荷は、「地上の命の死」と「霊的命の死」です。「地上の命の死」は、寿命による死です。その他には自死があります。

それに加えて、日本人には霊的な死の問題も解決していないで生きている人が多いのです。

★重荷を担われる神様は、私たちの重荷を日々担って下さいます。そればかりか、霊的な命までも救ってくださるのです。まさに「死を免れるのは、私の主、神による」と20節にある通りです。それではどのようにすれば、私達の重荷を主に担っていただけるのでしょうか。それは、謙遜になって神様を信じることです。私は19歳でそのことを知りました。神様はその時からずっと私と一緒に歩いて下さり、重荷を担って下さっています。

神様はあなたの重荷も日々担って下さいます。謙遜になって神様を信じて、平安な人生を歩き出しましょう。

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