8月20日礼拝「自滅と救い」

詩篇講解NO64「自滅と救い」詩篇64篇1~10節

                       仁井田義政 牧師

 今日の御言の表題には「指揮者の為に、ダビデの賛歌」とあります。それは、この詩が公的な礼拝の場で賛美されたものであることがわかります。つまり一人で祈る時に、指揮者の率いる聖歌隊はいないからです。そうしてみると、礼拝者全体に語り掛ける内容であることがわかります。つまり私達にも「このような教会となるように」と、語り掛けている詩篇なのです。

★この詩篇で、ダビデは「私の嘆く時」と記していますが、王として代表して祈っていると考えて良いのです。「恐るべき敵」「悪を行なうもの」とは、神を神と思わず不信仰な人々のことです。彼らは目に見える武器ではなく「舌の剣」「苦い言葉の矢」で攻撃してくるのでした。蔭口です。しかも彼らは、それを悪いことだと思っていないのです。

★5節~6節に「悪者たちは悪事に凝っています」と記されています。現代のネット社会も、詐欺に満ちています。私の所にも毎日最低でも10通は詐欺メールが届きます。詐欺者達は頭が良いのでしょう。凝った内容のメールが届くのです。しかしダビデの受けている「苦い言葉の矢」は、そのような詐欺とは種類が違います。信仰の共同体を破壊するように企む集団からの攻撃でした。その攻撃は巧みで、「誰が見破ることが出来よう」と確信し、「うまくいった」と勝ち誇っているのです。

★それに対して、ダビデは「私が嘆く時、私の声を聞いてください」(1節)と祈る以外、手の打ちようがありませんでした。しかし、神様による「しかし」があるのです。7節に、悪者達が不意に神様によって裁かれ、悪者達の攻撃の言葉が、悪者達の命取りとなるのです。

  ★そして9節~10節には、こうして神様の正しさに生きる信仰者達は、誇りに満ちて生活するようになることが記されています。神様は正義者に勝利を与えられ、人々は正義の神がおられることを知るのです。また礼拝者たちは「主にあって喜び、主に身を避ける」礼拝をするのです。 

★どんな悪者の策略にも、神様は勝利され、礼拝者たちは喜び礼拝をすることが書かれています。クリスチャンには、悪の世に生きる勇気が必要です。神様が悪に勝利されるからです。私達も神様の勝利を信じて、神様をほめたたえる礼拝をする教会となりましょう。

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