8月6日礼拝「私はただ神を待ち望む」

詩篇講解NO62「私はただ神を待ち望む」詩篇62篇1~12節

                       仁井田義政 牧師

 今日の詩篇の中心聖句は「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む」という御言です。ダビデは信頼していた友人に裏切られ、命を狙われています。ダビデはその辛い体験の中で、揺るぎない信仰の道を見出しました。私達も、信頼していた人に裏切られて辛い体験をすることがあります。ですからこの詩篇が、私達に強く迫ってくるのです。

★ダビデは、その解決に私達が陥りがちな人に頼って解決しようとしました。そして身分の低い人に頼って傷を舐め合おうとしても、解決になりませんでした。また身分の高い人に頼って助けてもらおうとしても、助けにはなりませんでした。結果は、かえって失望と不安が増すばかりだったのです。むしろ人に頼ろうとするそのような姿勢こそが、友に裏切られる結果になっていると気付かされるのです。(そのことは、9~10節に記されています。)

★ダビデは、「人に頼る生き方が虚しいことだと知りなさい」と、神様が「一度告げられた。私はそれを二度聞いた」と言っています。それは、神様が一度教えて下さった言葉を、私は反復したということでしょう。神様に頼ることが確実なのだという考えは、決して人間からは出ないのです。人間から出る考えは、「人に頼れ!富に頼れ!」ということが多いのです。しかし神様は、新しい生き方を天から啓示されたのです。

★ダビデは、ついに揺るぐことのない信仰の境地に立ちました。それは、「私のたましいは、ただ黙って神を待ち望む」という境地です。それは、希望は神から来るからです。神こそ、敵や問題から身を守る「岩」、泥沼から救う「救い」、敵から身を守る「やぐら」だと言っています。私達の問題を解決する力は、人間からは決して来ないのです。

★今日の中心的な御言は、「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む」であると最初にお伝えしました。この「ただ」は、何もしないことではありません。ダビデは一度聞いたことを、二度聞くという信仰の大切なことを苦難の中でしたのです。「神様が私を愛し、守り、私の遭遇しているこの困難の中から必ず助け出して下さる」と信じ、心の隅々にまで、魂の隅々にまで、こだまさせたのです。そして襲い掛かる不安から、主にあって脱出したのです。私達も、御言を魂の奥底まで響かせて強くなりましょう。

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