3月20日礼拝「苦難の中の喜び」

詩篇講解(NO.4)「苦難の中の喜び」4篇1~8節

          仁井田義政 牧師

 今日の第4篇も、ダビデが我が子アブシャロムから命を狙われている苦難時代の詩篇であると言われています。この詩は、私達がダビデと同じように苦難の中にある時、どのようにして喜びを失わずに生きることが出来るかを学ぶことが出来ます。

★1節の「私が呼ぶとき、答えてください」は、ダビデが苦難の中で主の名を呼んだのです。神様が呼べば応えて下さる方であることを表わしています。私達は、苦難の時に神様の名を呼ぶことさえ、おろそかになってしまうことがあります。「今、困難の中にありますので、落ち着いたらまた教会に行きます。それまでお休みします」等という言葉になって現われます。ダビデは、苦難の夜に祈ったのです。苦難の夜は、一層不安になる時です。病気で入院などしますと、とても夜が不安になり、朝が来て明るくなってくるのをひたすら待つのです。ダビデは、苦しい中で神様の名を呼んで祈りました。その神様は「私の義なる神」です。それは自分が正しい人間だから祈るのではなく、私を義として下さる神様だから祈るのです。

★2節の「人の子たちはいつまでわたしの栄光を恥ずかしめ」は、ダビデに敵対してアブシャロムを担ぎ上げている者たちのことです。「いつまで」は長期に亘っていることを表わしています。「私の栄光」は、神様が王として任じて下さったことです。それに反逆することは、「神の選び」に対して反逆することなのです。神に立てられた王に反逆するということは、空しく無駄な行為なのです。

★3節の「知れ」はとても強い言葉です。何を知らなければならないのでしょうか。「主はご自分の聖徒を特別に扱われる」ということです。苦しみの夜に、主の名を呼ぶ聖徒達の祈りを「特別に扱われる」のです。このことを全てのクリスチャンは知らなければなりません。選ばれていることに感謝して、確信して祈るのです。

★私達は、神様の愛する特別な存在とされた者なのです。ですから神様はその人を特別に扱って下さるのです。祈りの中で神様の名を呼び「神様!私は神様にとって特別な人とされました。」と言いましょう。困難が大きければ大きい程、「私は神様により分けられた特別な人だ」と、祈りの中で告白しましょう。そうすれば苦難の中にあっても、心に喜びが与えられるのです。

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