3月3日礼拝メッセージ「勝利するのは誰か」

詩篇講解NO83「勝利するのは誰か」詩篇83篇1~18節

                         仁井田義政牧師

 今日の詩篇は、戦いの祈りの詩です。私達にも様々な戦いがあります。そのような時に、次々に神様が指導して下さり、神様の奇跡的な御力によって敵に勝利することが出来れば、それほど力強いことはありません。

★今日の詩篇には10の民族の連合との戦いが記されていますが、そのような戦争は聖書の歴史にはありません。そのことから、実際に起きた戦争ではなく、時代が違う戦争をまとめたものと考えられます。詩人は、この詩篇で真の神を信じる者の国に、度々戦いを挑んでくる者達を「滅ぼしてください」と祈りました。

★しかし神様は、その祈りに沈黙されたのです。私達も、祈ってもいのっても、神様が沈黙され行動して下さらないと感じることがあります。この詩人は「私達が攻撃されているのは、あなたが攻撃されているのですよ」と苛立っています。イエス様も、ゲッセマネの園で、裁判で、十字架で、神様の沈黙を体験されました。しかしイエス様は、はためには敗北に見える十字架において、神様の沈黙の中、勝利を信じて前進されたのです。

★この詩人の究極的な願いは、16節や18節にあるように、「彼らも神を知ること」にありました。詩人が言うように、時には神様が「沈黙」され、「その活動が見えず」何の力もないように見えても、結果は勝利するのです。それは、聖書全体のメッセージです。黙示録も、力強くその事を記しています。まさに「全地の上にいますいと高き方」(18節)なのです。

★先ほど、イエス様が十字架につけられる時「ゲッセマネの園や、裁判、十字架でも神様は沈黙しておられた」と言いました。その時には、同胞のユダヤ人たちからは嘘の証言を立てられ、ローマ兵からは唾をかけられ、平手やこぶしで叩かれ、いばらの冠をかぶらされ、葦の棒を持たされたのです。しかし、神様は黙しておられました。十字架につけられた時も、そうでした。しかし、神様のお働きは、その沈黙の中で始まっていたのです。黙示録にあるように、イエス様こそ最終的な勝利者なる神様なのです。「小羊は彼らに打ち勝ちます。なぜならば小羊は主の主、王の王だからです。」(黙17:14)

私達はそのことを信じて、あらゆる戦いに挑んでいきましょう。

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