2月18日礼拝「正義の神が見ておられる」

詩篇講解NO82「正義の神が見ておられる」詩篇82篇1~8節

                          仁井田義政牧師

 今日の詩篇は、悪とは何か、神様の正義とは何かを教えています。聖書は神様の正義だけではなく、悪の存在をいたるところに記しています。

★悪が存在すれば、当然正義も存在します。聖書の正義は、単に人間の決めた決まり事、つまり法律や憲法を守るということ以上のものです。政治家に求められるのも、憲法や法律以上の志の高いものでなければなりません。それは何かというと、2~3節にある「弱い者、みなしご、悩む者、乏しい者を助け出す」ことなのです。

★それを知らない人達の指導する国や社会には、安定がなく希望がなく、見通しが立ちません。現代は、共産主義も民主主義も行き詰っています。世界的には、国際連合も何の決断も出来ない状態です。日本の国会を見ても、居眠り議員や、自分の選挙の為に走りまわる議員や、都合が悪いと突然記憶喪失になる議員や、病院に逃げ込む議員もいます。派閥の権力者になるために、不正なお金をパーティなどで集め、それを部下にばら撒く始末です。

★82篇の詩人は、神の預言者的な目をもって、神の正義とは「弱い者、みなしご、悩む者、乏しい者を助け出すことだ」と記しています。それを見失っている党や個人は、悪魔的な存在なのです。ですから私達は、選挙の時だけではなく、常日頃から見張っていなければなりません。その議員が「弱い者、みなしご、悩む者、乏しい者を助け出す」志を持っているかどうかが、その人を見分ける試金石なのです。

★さて私達は、指導者や政治家などの不正を見る時、途方に暮れてしまいます。しかもその不正は、アダムとエバの時代から何一つ変わっていないのを知ると、さらに途方に暮れるのです。統一教会と政治家の結びつき、車関係の大企業の不正など、何故それらがこうも次々に起こるのでしょう。それは不正を裁かれる神様がおられることを信じていないからです。正義の神様は、私達の全ての生活をいつも見ておられます。

クリスチャンである私達は、しっかりとそのことを心に留めて、正義の神様の御心にかなう生活をしましょう。

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