6月19日礼拝「神の沈黙と祈り」

詩篇NO13「神の沈黙と祈り」13篇1~6節

         仁井田義政 牧師

 今日の詩篇13篇は、ダビデの孤独の祈りです。祈っても、祈っても、神の祈りに答えがないのです。しかもダビデは、いま重い病気にかかっていて、死ぬかもしれないと思っているのです。神様は私を捨て去られたのだろうか。神様は私を忘れてしまわれたのだろうかと、深い孤独がダビデを包み込みました。私達もクリスチャンとして生きてゆく中で、誰でも一度や二度はそのような体験するものです。今日のダビデの体験を自分のこととし、そのような時にうろたえることのないようにしておきましょう。

★ダビデは「主よ、いつ迄ですか」と祈っています。それはいつまで祈れば良いのですかという質問です。この詩の中には、「一日中悲しみがある」とも記されています。おそらく祈り始めてから数日は経っていたと思います。いや数か月かも知れません。それなのに神様は一向に祈りに答えて下さらない。その中で「あなたは私を永久にお忘れになるのですか」と祈っています。ダビデは、祈っても癒されない病気のゆえに孤独でした。

★それでもダビデは「私に目を注ぎ、私に答えて下さい」と祈っています。「目を注ぎ」は、「あなたの祈る姿を私は見ているよ」という神様の確証のことです。「答えて下さい」は、神様の声として「私は祈りを聞いた。私は必ず癒す」との言葉のことです。しかし神様は沈黙し、見て下さっているのか、聞いて下さっているのか全く分からないので、ダビデは孤独でした。

★祈っても、祈っても、神様はダビデの祈りに沈黙しています。それなのに5節を境に「私は、あなたの恵みにより頼みました」と、突然信仰と喜びと賛美に満たされます。それは、ダビデの気付きにありました。その気付きとは「私は、あなたの恵みにより頼みます」という言葉に現わされています。ここでの「恵み」とは、神様の約束、つまり「契約」のことを意味しています。ダビデは、たとえ神様の声が聞こえなくても、何ひとつ変わることなく、私には神様との契約があるという信仰です。

★ダビデの時代には、神様との契約、モーセの律法がありました。私達の時代には、完成した旧約聖書と新約聖書があります。ダビデは絶望的な中の祈りで、さらに強い信仰に到達したのです。私達もいつも変わることのない神様との契約があると告白し、逆境に強いクリスチャンになりましょう。

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