6月2日礼拝「私の救いを彼に見せよう」

詩篇講解NO91「私の救いを彼に見せよう」詩篇91篇1~16節

                     仁井田義政牧師

 6月に入り、一年の半ばにさしかかっています。さて、人生にはいろいろな戦いがあるものです。今日のメッセージは、詩篇91篇の最後の言葉から「私の救いを彼に見せよう」という題でお話し致します。

★この91篇の作者は、誰であるかがわかりません。詩の表題もないのですが、この詩人は大きな困難に直面しています。3節や6節を見ると、病気かもしれません。あるいは3節の「狩人の罠」は命を狙う敵かもしれません。私達の回りには、様々な問題や困難が際限なくあります。それが心配や不安を生み出すのです。

★この詩人は、神様を信じることを「いと高き方の隠れ場に住む」(1節)と言っています。また「全能者の陰に宿る」とも言っています。それは神様の守りに包まれることを意味しています。詩人は、神様を信じることをそのように表現しています。日本人の「信じる」という感覚とは違う表現です。つまり、神様に心に入って頂くのではなく、神様の守りの中に入れて頂くのです。

旧約時代には、その家の客となった人に対して、主人は命をかけて守る習慣がありました。親鳥がひな鳥を守るように、客人を守るのです。病人であればなおさらです。「それは、いと高き方を、あなたの住まいとしたからである」と、9節に記しています。

★どうして神様は、無名なこの詩人を1~13節にあるように次々と守って下さるのでしょう。それは「彼がわたしを愛しているから」(14節)と神様の言葉が記されている通りです。これが神様を愛する者への約束なのです。「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」と申命記6章5節にも記されています。イエス様もマタイ22章36~38節でこの言葉を引用しておられます。

★今日の詩篇の作者は、病気かあるいは敵という、命に係わる問題に直面していました。その詩人に神様は「私の救いを彼に見せよう」と言われたのです。それは、詩人が神様の守りの中に住んで、神様を愛する人だったからです。私達も主の守りの中に住み、神様を愛する生活を開始しましょう。

  

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