3月10日礼拝「なんという幸せ」

詩篇講解 NO84「なんという幸せ」詩篇 84 篇 1~12 節
仁井田義政牧師
今日の詩篇は、神様を信じる者の幸せについて記しています。この詩人は
神殿から遠い所に住んでいる人のように感じます。何らかの理由で、外国に
住んでいる人かもしれません。この詩は、読む者をはっとさせ、純粋な信仰
へと目覚めさせる力に満ちています。
★詩人は「なんと幸いなことでしょう。あなたの家に住む人たちは」(4 節)
「雀や燕さえも住家を見つけました」(3 節)と言っています。彼は神殿の大
庭を恋い慕っています。(2節) そこにおられる神は、生ける神で偶像等と
は全く違う神であることを現わしています。そして雀と燕の譬えで、人間の
心の平安がそこにあることを示しています。ここで、詩人は第一回目の「な
んと幸いなことでしょう」という感嘆に満ち溢れた言葉を記しています。
★5 節では「なんと幸いなことでしょう。・・シオンへの大路のある人は」と
二度目の感嘆文を記しています。「シオンへの大路にある人」とは、詩人の
エルサレムを目指しての巡礼時のことかも知れません。礼拝に行くためには
長い道のりと、その道での困難や危険がありました。「彼らは涙の谷を過ぎ
る時も、そこを泉の湧く所とします」(6 節)とあるのは、そのことなので
す。これは文字通りの巡礼の道だけではありません。私達の人生であり、実
生活の中でのことです。それを乗り越えて礼拝に向かい、集うのです。
★詩人は「あなたの大庭の一日は、悪の天幕の千日にまさる」(10 節)と言
い、「神の宮の門口に立てるだけでも良い」と言っています。あらゆる困難
を乗り越えて行く神殿には、異教の宮のような神様の見える姿はありませ
ん。ですから 12 節で「なんと幸いなことでしょう。あなたに信頼するその
人は」と、第三回目の感嘆文を記しています。目には見えないけれども、生
きておられる真の神に信頼することこそが大切なのです。それが、真の神を
信じる信仰者であることの幸せなのです。
★私達も、神の宮である教会を大切にしましょう。またどんな困難があって
も、日曜日の礼拝を大切にしましょう。そして何にもまして、見えない神様
を信じていることを最高の幸せとし、見えないからこそ、生きておられる神
様に全信頼を置く信仰の幸せを得ようではありませんか。

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