6月4日礼拝「神の力の内に生きよう」

主日礼拝「神の力の内に生きよう」使徒の働き9章36~42節

                                       吉原博克師

先週は祝されたペンテコステの礼拝でした。今週は先週の続編、応用編のお話となります。ペンテコステの日、エルサレムには当時のギリシア・ローマ世界にして「世界中」からの人々が集まっており、その日だけで三千人の人々が主イエスを信じる者とされました。

★主イエスの教えは、聖霊のバプテスマを受けると「力を受け」、「エルサレムからユダヤ、サマリヤの全土まで」主の証人と」なる、というものでした。エルサレムとユダヤとは、いわばなじみの町と地域、サマリヤとは、文化的に似ていながらも少し違う地域、地の果てとは大きな違いのある地域、という意味でもあります。地理的な意味に加え、文化的・社会的な意味を含んでいるわけです。あなたも、出身の地域・文化と現時点の地域・文化、そして遣わされ(てい)る先の地域・文化というものについて、少し思い巡らし、祈ってみましょう。

★今日はさらに「力」というものについて考えてみます。「力」という言葉は、聖書の原語では「デュナミス」といいます。英語の「ダイナマイト」という言葉はここから作られました。しかし、聖書の語る「デュナミス」には、様々な意味が含まれています。代表的なものは、言葉で証しする力であり、「しるしと不思議」なる奇跡を行う力です。主イエスの福音は私たちを罪から解放し、死から命に移してくれる力です。

★一方、今日のテキストのドルカス(タビタ)は、ある特技で豊かに用いられたとあります。裁縫です。彼女は一針一針、縫いものをし、下着や上着を作ることで他の女性たちを励まし、支えていたのです。ルカは、このドルカスを生き返らせた神の究極の力について証しつつも、この「女の弟子」がこつこつと積み上げてきた「良いわざと施し」についても少し詳細に紹介し、さらに豊かな証しとしているのです。

★この章の前半に出てくるアナニアは、主の語りかけを受け、回心したといわれる迫害者サウロを、恐れを乗り越えて訪問し、主の務めを全うしました(9:10-19)。神の「力」は派手なものばかりではありません。日々の努力や忍耐、忠実な歩みの中に顕れる静かな力でもあるのです。あなたに必要な「力」を祈り求め、いただいていきましょう。

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