11月7日礼拝「キリストの宝」

コロサイ書講解(NO.8)「キリストの宝」2章1~5節

仁井田義政牧師

 今日の御言に「このキリストの内に、知恵と知識との宝が全て隠されているのです」と記されています。パウロは、キリストの内に全ての祝福が宝物のようにあることを教えています。

★パウロは、行ったこともない教会の人々のことを心配していました。パウロは、2章1節で「その人々のために苦闘していることを知って欲しい」と言っています。いったい何を苦闘しているのでしょうか。それは、獄中での祈りのことです。その祈りは主のゲッセマネの祈りのようです。コロサイ地方に広がり始めた異端に、クリスチャン達が騙されないようにと祈っていたのです。

★獄中のパウロの祈りは、コロサイ教会の信徒達が「神の奥義であるキリストを真に知ることが出来ますように」との祈りでした。なぜ、キリストは神の奥義と言われているのでしょうか。それは、純粋な信仰によらないでは見ることが出来ないからです。純粋な信仰とは、幼子のような心です。イエス様も、弟子達に「だれでも幼子のようにならなければ」(マタイ18:3-4)と教えられています。イエス様には「知恵と知識との宝が全て隠されている」のです。信じない者には見えませんが、信じる者には見える世界があるのです

★パウロは、コロサイの教会に迫っていた異端の「まことしやかな議論に」よって、間違った教えに引き込まれないように、獄中で祈っていました。それは思い出したら祈るなどではなく「苦闘」の祈りを捧げていたのです。パウロはローマの牢獄にいます。残酷さで有名な皇帝ネロが、いつパウロに死刑の判決を下すかしれません。しかし、パウロは自分の命のことよりも、コロサイ教会と諸教会が異端に騙されないようにいつも祈っていたのです。

★これらの教会と地理的には遠く離れたローマの獄中で苦闘ながら祈るパウロにも、一筋の希望がありました。それは異端の教えに引き込まれた者は、まだ数人であると言うことでした。教会はまだしっかりとした「秩序」を保っており、信徒達は「キリストに対する固い信仰」を持っていると言うことでした。キリストの内にはあらゆる宝が隠されているのです。その宝は、純粋なキリストへの信仰で誰でも発見できるのです。幼子のようにイエス様の祝福を信じて祈り、イエス様に祝福して頂こうではありませんか。

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