第二コリントNO12「懇願する神」5章16~21節 仁井田義政 牧師

5fea89f3bcdc626b097d52e2d9840cca 日本では、正月に多くの人々が神社や仏閣で神仏に懇願する姿が見られます。正月の参拝数一位の明治神宮には317万人が集まると言われています。如何に日本人は神仏に懇願する民であるかが分かります。しかし今日の聖書の中では、その逆に「神様が私達人間に懇願しておられる」ことを記しています。それこそ奇想天外であり、摩訶不思議な視点です。

★パウロにとって、かつてキリスト教は百害あって一利なしの存在でした。イエスが復活した!イエスの十字架は罪から救う!と言う話は、絶対に許せない神様への冒涜と考えていたのです。イエスがメシア(救い主)であるならば、ユダヤ人の嫌う木に架けられての死など絶対にありえないと考えていたからです。それゆえパウロは、教会を迫害し続けたのです。しかしダマスコへの道で復活のイエスと出会い、クリスチャンになりました。

★「誰でもキリストにあるなら新しく造られた者です」とパウロは言っています。古い自分が過ぎ去って、新しい見方をする人間へと創造されたのです。キリストを見る目も依然と全く変わりました。かつては忌み嫌うものから、今は最も慕わしい方になったのです。すると、神様の心がはっきりと見えてきました。

★ キリストの救いを受けた者は、同時にキリストの使命を持つのです。その使命をパウロは「和解の務め」(18節)「和解の言葉」(19節)と言っています。パウロを通し、クリスチャンを通し、教会を通して「神との和解を受けなさい」と「神が懇願しておられるかのようです」(20節)と言っています。懇願とは「ひたすらお願いしていること」です。神様に人間が懇願するというなら分かりますが、神様が「切なる願い」をしてくださっているとは何ということでしょう。神様はあなたが救われることを、懇願しずっとずっと待っておられたのです。

★イエス様はあなたを愛して、あなたが神様のもとに帰って来ることを懇願し続けて待っておられます。イエス様のあなたへの愛を信じましょう。そしてイエス様の切なる愛を素直に信じて、あなたもクリスチャンになって下さい。

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