(第一コリントNO7)「私達にはキリストの心がある」第一コリント2章6~16 仁井田義政 牧師

 パウロはコリントの町では、純粋にイエス様の十字架の救いを話しました。それは哲学好きのコリント人には愚かな人のように見えたかもしれません。しかし今日の聖書箇所では、パウロは今までの話をひっくり返すように、「しかし、私達は成人の間では知恵を語る」と記しました。今まで「知識や知恵の言葉を用いない」と繰り返して来たパウロの主張がひっくり返ってしまったかのように感じる人も多いでしょう。しかしこの知恵も、人間の哲学などの知恵ではなく、「神の知恵」のことなのです。

★この世の知恵では、神様の御心の大きさ、広さ、高さ、深さを誰も知ることが出来ません。神様は、アルファーでありオメガなのです。永遠から永遠を誰が知ることが出来るでしょうか。「神の知恵」は、普通の人には隠されている奥義なのです。それは、人間が発想も何も出来ないことなのです。

★その神様の深遠な奥義は、御霊によってのみ啓示されます。神様の奥義は、聖霊が私達に働かれることによって初めて理解できるのです。そのために生まれながらの人間は、神に属する真理を受け入れることが出来ません。それが愚かに見えるからです。生まれながらの人間の知恵には限界があり、神様の知恵まで到達できないのです。まさにこの世の知恵の限界です。

★ですから御霊の働きを受けている者は、神様を信じていない者には謎多き存在となるのです。それは「キリストの心がその人の内にある」からです。偉大な「キリストの心が私達の内にある」のです。聖霊によって神様の御心を知ることが出来るからです。 

★神様の奥義を知る唯一の方法は、謙遜になって聖霊を敬いつつ御言を聞くことです。そうする時、この世のどんな知者よりも、高く深く広く神様の真理を知ることが出来るのです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの、神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」(2:9)と記されています。謙遜になって聖霊の力を受け、御言を聞き神様の知恵に導いていただきましょう。そうして今日の聖書のように「私達には、キリストの心があるのです」と言える人になりましょう。

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