8月16日礼拝「キリストの十字架だけを」

(第一コリントNO6)「キリストの十字架だけを」第一コリント2章1~5節 仁井田義政 牧師

パウロはコリント教会の創立者でした。パウロは、初めてコリントの町に伝道した時のことを思い出しつつ2章を記しました。パウロは、神様がどのような話を望まれるかをしっかりと守って、注意深く伝道しました。

★パウロは「コリント伝道は優れた(哲学的な)言葉を用いなかった」ことを記しました。パウロはかつて、コリントに来る直前のアテネの町では、エピクロス哲学やストア哲学の人達と哲学を戦わせました。しかしアテネの人々に合わせた哲学的説教では、人々は神を信じることが出来なかったのです。パウロは、失意の中でコリントの町にやって来たと思われます。そしてアクラとプリスキラ夫婦のもとで「天幕づくり」のアルバイトしながら、教会を開拓したのです。

★パウロがコリント伝道で徹底したことは、「哲学な」言葉を使わないことでした。神様が望んでおられる「宣教のことばの愚かさ」による伝道を続けたのです。それは私達の為に「十字架に付けられたイエスキリストの他は何も知らない」人のように伝道したのです。

★ パウロは人に馬鹿にされようが、あざけられようがイエス様の十字架による救いを伝え続けたのです。哲学のもてはやされる学問の地で、パウロは愚か者のように「イエス様の十字架を信じれば救われる」と伝えました。それこそ、聖霊とその御力に委ねた伝道でした。その目的は「それは、あなたがたの信仰が人間の知恵に支えられず、神の力に支えられるためでした。」と記されている通りです。 

★神様は「宣教のことばの愚かさ」による伝道を望んでおられます。教会は神様の望んでおられる伝道をしなければなりません。人間の知恵や哲学で人々の関心を集めても、別の人が新しい知恵や哲学を持ってくれば、また人々はその人の教えに関心を向けるのです。しかし十字架のことばは、人の目にはたとえ愚かに見えても、ひとたび神の真理に目が開かれれば、太陽の前には月や星の光が消え去ってしまうように、人間の知恵や哲学は消え去るのです。永遠の真理であり、私達を罪から救うイエス様の十字架を心から信じていきましょう。そして私達はパウロのように、十字架の真理を伝えていきましょう。

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