(礼拝メッセージ)マタイNO93「福音が福音に聞こえない原因」マタイ19章16~22節 仁井田義政 牧師
今日もマタイの福音書から93回目のメッセージをお伝えします。福音とは「喜びの知らせ」と言う意味です。聞く者に喜びを与える書です。しかし福音の言葉を聞いたはずなのに、「悲しんで」しまった青年が出てくるのです。彼には「福音が福音として聞こえなかった」のです。そのようなことにならないように、今日の御言をしっかりと聞いて頂きたいと思います。
★この青年はあらゆることに優秀な人でした。神様を信じ、ユダヤ人が聖書の掟として守ることは全て守ってきたのです。しかしそれでも、もうひとつ自分には何かが足りないと思っていたのです。それは永遠の命(天国)のことに確固たる確信がなかったのです。そのことをイエス様に「どうすれば永遠の命を得られますか」と聞いたのですが、イエス様の答えは、普通のユダヤ人ならみんな守っているごく普通のことだったので、彼はがっかりしてしまいました。
★青年は「それらのことはみんな守っております。何がまだ欠けているのでしょうか。」と言葉を返しました。イエス様は青年に、決定的に欠けていることがあることを見通しておられました。彼の信仰を曇らせ、神様の愛が見えなくしてしまっているものを見抜いておられました。それは彼の財産でした。彼は「多くの財産を持つ、土地持ち」だったのです。彼は財産によって人生を安心していました。神様は絶対的に「良い方」なのに、彼は多くの財産を所有していた為に、神様の愛よりも財産に安心を感じていたのです。
★イエス様によって、彼の信仰の決定的な欠落が明らかにされました。彼は神様の律法は何でも守ってきたのですが、神様の愛を実感できなかったのです。福音が福音として聞こえるのは「神様は愛である」ということを信じている時なのです。イエス様は「財産を売り払って貧しい人々に分け与え、私について来なさい」と言われました。しかし青年は従えませんでした。
★しかしそれでも青年は自分の信仰は完全だと思っていたのです。それでは福音が福音として聞こえないのです。青年は、悲しんでイエス様のもとを去ったと記されています。信仰は、戒めを全部守ることが全てなのではありません。神様の愛を信じ感謝し、神様を愛することが大切なのです。
私たちは、財産よりも神様の愛に平安を置き、また心から神様を愛する人になりましょう。