(礼拝メッセージ)マタイNO92「イエス様の眼、私達の眼」マタイ19章13~15節 仁井田義政 牧師
今日の御言は、イエス様が教会の子供達をどのように見ておられるかを知ることが出来る重要な御言です。
★パリサイ人が離婚問題を用いてイエス様を罠にかけようとしたことで、イエス様はどれほどお疲れになられたことでしょう。弟子達はそれを見て取っていたと考えられます。
★そのような時、イエス様の所に親に手を取られ子供達が連れて来られました。その子供達は、病気の癒しなどの緊急な必要はひとつもありませんでした。いたって健康な子供達です。親達は、その子供達にイエス様の手を置いて祈って頂くために来たのです。健康や知恵よりも重要な必要があると考える親達に連れて来られたのです。それは、親の純粋な信仰から出た行動でした。
★弟子達は、その子供達を叱りつけました。親を叱ったのではなく、子供達を叱ったのです。おそらく子供特有の騒がしさが、主を思う弟子達の 心をイラッとさせたのでしょう。弟子達といえども、病気等の緊急性がある子供達ならば止めはしなかったでしょう。緊急性がなかったからです。
★しかし親達は、そのような元気な子供達をイエス様の所に連れて来たのです。その目的は「イエスに手を置いて祈って頂くため」でした。それは一時の祝福でなく、「この子の一生涯の祝福を」との願いを持ってイエス様の所に連れて来たのです。
★イエス様は、弟子達の見逃していた親と子の純粋な信仰をはっきりと見られたのです。ですからそれを留めようとした弟子達を、イエス様は「憤って」(マルコ10:13~16)弟子達を叱られたのです。凡人の私達が見逃しやすい大切なものを、イエス様の眼にはしっかりと見えていたのです。ですから私達もイエス様の眼を通して見させて頂かなければ、弟子達と同じ間違いをしてしまいます。イエス様は、その「子供達の上に手を置いて」祈り、「天の御国はこの子供達のような者達の国です」と言われました。
★私達も、子供達がイエス様の所に来るのを邪魔してはいけません。教会も親達も、子供達をイエス様のもとに導きましょう。