第一コリントNO48「主を愛するクリスチャン」16章15~24節 仁井田義政 牧師
今日の聖書の箇所は、コリント教会への終わりの挨拶です。エペソにいたパウロの所に、コリント教会の現状を報告しに来てくれたステパナとポルトナトとアカイコのことが記されています。コリント教会のある者達には、この三人がパウロの所に告げ口に行ったと誤解される危険があったのです。そこでパウロは、この三人をそのような目で見たり、裏切り者扱いをしたりすることのないようにと心遣いをしたのです。
★コリントからエペソのパウロの所まで、現状説明に来た三人の中のリーダー格のステパナ。彼は、パウロのアカヤ地方伝道の時に洗礼を受けた人でした。パウロはアカヤの初穂であったと記しています。
★それは単に初期に救われたというだけではありません。それからずっと教会の為に働いた熱心な信徒だったのです。そのような人がリーダーとなってコリント教会の情報をパウロに伝えたのです。
★そのような忠実な人達が、誤解されることがないように「このような人達に服従しなさい」とパウロは記しました。さらに「このような人々の労をねぎらいなさい」と進言するのでした。またパウロと行動を共にしていたアクラとプリスカの挨拶も記しました。この二人は、かつてコリントで天幕作りをしてパウロの伝道を助けた夫婦です。その後パウロと共にコリントを去り、エペソで家の教会を開いたのです。
★次に記されている「主を愛さない者は誰でも呪われよ」とは、当時の教会で定型句のように使われていた言葉と思われます。主に愛されることよりも主を愛することが初代教会の信仰姿勢だったのです。すでにイエス様の十字架によって、充分愛されているからです。もうひとつ記された「主よ、来てください」と言う願いも、初代教会共通の言葉でした。アラム語で「マラナタ」です。それはイエス様の再臨による大勝利への確信でした。
★初代教会には、イエス様の十字架の愛が人々の心を大きく満たしていたのです。だからこそ「主を愛さない者は呪われよ」との認識が共通理解であったのです。私達も愛されることばかりを望む生き方ではなく、神を愛する成人したクリスチャンになりましょう。