第二コリントNO1「どのような苦しみの時も」第二コリント1章1~7節 仁井田義政 牧師


パウロは4cfe3f4d8ba854bc8332134b592fd628、コリント教会に様々の問題があったので第一の手紙を書き送りました。しかしそれを読んだ人々が悔い改め正しい信仰に至ったかと言うと、そうは上手くいきませんでした。それどころか、その手紙によってある人々は、あからさまにパウロの指導に反対の意見を強めてきたのです。その反対意見のひとつは、パウロの使徒職に関するものでした。パウロは必要に迫られて、この第二の手紙を書くことになったのです。

★パウロは「神の御心による、キリスト・イエスの使徒パウロ」と属格で記しています。それは、イエス様から選ばれたという事実を客観的に示したのです。牧師であっても、神学校の終了書が召命の客観とは成り得ないのです。「神様に召された」という確信が大切なのです。クリスチャンも同じ「神の御心により、イエス・キリストの僕」と主観的であると同時に、客観的な確信を持たなければその信仰は弱いのです。

★またパウロは、「私達の父なる神と、主イエス・キリストから恵みと平安がありますように」との祝福の言葉を記しました。困難の中にある者に「恵みと平安は」「父なる神から発せられ、主キリスト・イエスを通して来る」のです。人の言葉は究極的な「恵みと平安」をもたらすことにはなりません。私達を愛しておられる神から来るのです。それは、全人類に及ぶ共通の真理です。

★3~7節に「慰め」と言う言葉が9回も記されています。3節に「慰めの神」とあります。私達が「苦しむ時」に、慰めの神は私達を慰めて下さいます。その慰めは「パラクレイトス=助け主」と同じ語が使われています。パウロ自身も、8~9節にあるように「死さえも覚悟する」苦しみを体験しました。しかしパウロは、その苦しみに打ちのめされませんでした。神様からの「慰め」があったからです。その「慰めは同じように、どのような苦しみにあるあなたがたをも慰めることが出来る」と記しました。そのことによって苦しみの中にある者達の苦しみの解決法を指し示すのです。

★クリスチャンは神の慰めから一歩も出てはいけません。そのことによって「どのような苦しみの時にも」動かされない強い信仰のクリスチャンとなることが出来るのです。苦しみに強いクリスチャンになりましよう。

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