(礼拝)マタイNO110「自分を低くする者は高くされる」マタイ23章1~12節  仁井田義政 牧師 

22章の最後には「その日以来、もはや誰もイエスにあえて質問をする者はなかった。」と記されています。そこで今度はイエス様が群衆と弟子達に向かって話し始められました。それは23章から25章の最後まで続きます。まずイエス様は、謙遜について教え始められました。

★イエス様は「律法学者やパリサイ人の言うことは、みな行いなさい。」と言われました。イエス様はパリサイ人を否定はしておられるのではなく、パリサイ人の「言うだけで実行しない」ことを非難しておられるのです。当時ローマ人の支配の中で、多くの人々の信仰が世俗的になっていました。パリサイ人達はそれを嫌い、聖書の律法を必死に守ろうとしたのです。だから律法学者が多く、人々も彼らを尊敬していました。その尊敬をさらに受けたいという欲がふくらみ、パリサイ人達の罠になっていたのです。

★弟子達にも同じ誘惑が懸念されました。イエス様は「あなたがたは、パリサイ人達のように名誉欲の虜になってはならない」と弟子達と群衆に教えられました。当時パリサイ人達は、自分達の敬虔さが人々に分かるように、衣の房を長くし尊敬を受ける手段としていたのです。私達人間には、名誉欲が常に絡みつく危険があるのです。

★イエス様は「師と呼ばれてはいけません。あなたがたの師はただひとり、キリストだからです」と教えられました。そこである人が「先生も聖書に従って先生と呼ぶのを止めさせましょう」と言いました。そこで私も「それではあなたも、お父さんをお父さんと呼ぶのをやめ、子供に父さんと呼ばせるのを止めますか」と聞きました。そういう事をイエス様が言っておられるのではないのです。見せるだけの信仰者になるなと言われたのです。

★イエス様は、この地上に弟子達を残していくにあたって、心配なことがありました。それは私達の心の中には「尊敬されたい」という欲望があるのです。クリスチャンはその毒に飲み込まれてはならないのです。クリスチャンの理想は「仕える人になること」です。イエス様ご自身が(マタ 20:28)で「人の子が来たのは、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」と言っておられます。「自分を低くする者は高くされるのです」。私達も自分を低くして、神様と人々に仕えるクリスチャンになりましょう。

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